作詞家 Makoto ATOZI 歌詞の書き方コラム

作詞は才能か、それとも技術か。

作詞は才能なのか、それとも技術なのか。
この問いを何度も考えてきた。
問われる場面も多かった。

多くの人々の心に届くように、
打席に立つための運という才能。

良い歌を書くというだけではなく、
書いた曲を名曲として、
昇華させるためにも才能はある。

どんなに素晴らしい歌も、
人に聴いてもらって、
初めて価値にも高値がつく。

つまり、歌を書く才能とは、
優れた楽曲を創作することだけではなく、
生き方、姿勢、全てを総括して、
考えるべきものだと私は思う。

今日のコラムの表題は
『作詞は才能か、それとも技術か』
この問いに答えはあるのだろうか。

クリエイターには皆、才能が際立つ時期と、
技術が際立つ時期がある。

若き日には感性のみで作った音楽が、
音楽理論を超越して名曲が、
生まれることもあり得る。

それこそ、まさに才能として、
誰の目から見ても、
誰の耳にしてみても、
あきらかに伝わることだろう。

では、才能を抜きとして、
技術だけで書かれた歌はどうか。

歌には確かに技術の良し悪しがある。
構造の問題もある。

技術だけで歌を書くこと。
それは、できないことではない。

物語を決めて、設定を決めて、
メロディーと母音の関係を見極め、
誠実な音楽として言葉を紡ぐ。
極める一心で書くことができるなら、
それも一つの方法論だろう。

そしてこの書き方が極まった時には、
それこそが才能であると言える。

時代により、歌の姿は移ろいゆく。
諸行無常なクリエイテイブの世界で、
才能とはまさに水の如し。
全くもって捉えどころはない。

自分自慢になってしまうけれど、
私は”才能”をもてはやされて仕事をしてきたタイプだ。

”ATOZIくんの才能”
この言葉を何百回も聞かせていただいてきた。

褒められて伸びるタイプの私は、
この言葉をいただくたびに力を得てきた。

では、自分の才能に対して、
不安のあるクリエイターはどうすればいいか。
それは書くことに尽きるのだと思う。
何曲も何曲も歌を聴き、
何枚も何枚も歌を書く。
そして何度も何度も打席に立つ。
本物に触れて、
本物の打席に立つことで、
まだ見ぬ才能は開花する。

また、若き日に才能を見抜いていただけたからといって、
それにあぐらをかいていて学ばなければ、
やがてしっかりと理論と構造を磨いてきた強者に、
負ける日はやってくる。

才能は美学に通ずる。
創作に向けて、
あなたにはどのような美学があるだろう。
胸の内側で燃える美学。
それが才能として、
人の目に映る。

ストイックであることも才能かもしれない。
自由方便さもまた逆説的に才能かもしれない。

歌に魅力はあるか。
姿に魅力はあるか。

才能よりも実力よりも、
人が見ている何かは、
”その人の魅力”なのだと思う。

あなたはどのような人、
どのようなクリエイテイブに、
魅力を感じていますか?

歌は一人で磨き完成させることもできますが、
他者の視点が入ることで、
見えていなかった輪郭が見えてくることがあります。
必要な方にだけ扉は開いています。

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