#11月の太陽と愉快な仲間たち
用事があって、市の中心街まで自転車を走らせた。
BGMにイヤフォンで平井堅『The Changing Same』を聴きながら。『Love Love Love』から『楽園』に変わり、自転車を走らせる。歌詞に耳を傾ける。22年も経ってしまうと、自分が書いたという実感も、少しずつ変化してゆく。2019年のある日、この歌を書いたことで、僕の人生は元の場所がどこなのか、もうわからなくなってしまったほどに、次元を変えてしまった。
人生の重みに耐えられないと感じたこともありました。
今、心の苦しみを抱えて誰にも相談できずにいる人も増えているという。HSP、PTSD、ADHD、発達障害、不安症、対人恐怖症、自閉症、自律神経失調症、統合失調症、うつ、メンヘラともいわれるすべての症状は、医師の診断において、自覚されることも多いのだろうけれど、僕の個人的な感想として、本来、確かな診断は誰にもできるものではない。
なぜならこのすべての症状のもとは一つ。脳と心から始まるあらゆる弊害は、診断された人だけにあるものではなくて、全人類が生命の内側に持っているものだから。精神的な不調の種は誰もが持っている。
あまり咲いてうれしい花ではないけれど、この種を咲かせてしまう人もいる。咲いてしまった花は診断された症状の一つの特徴でしかない。
どんなに屈強な人の内側にも、どんな人気者の内側にも、僕はこれらの苦しみの種を見る。人は強くもろい。心を責める側のほうが病んでいるということはよくあります。なぜならそれは排除するという心理。愛の行いではない。
脳と心の障害が顕著に出てしまう繊細な人たちは、なぜ人間関係で苦しんでしまうのか。一言でいえば、境界線をあいまいにしたままで生きているから。心の情報への無防備さに反してフィジカルな面での視野の狭さということもあり得る。
人の悲しみ苦しみまでも感知する能力は、そのままで怒りやマイナスな想念までも察知する。だからこそ生命を愛することもできるはずの能力で、自分自身を傷つけてしまっている。
誰かが何かを言えば、自分に向けて言っているのだと受け止めてしまう。たとえばnoteでフォロワーが書いた言葉も全て、自分に対してのメッセージであると感じてしまう。
たとえそれがその通りであったとしても、だから何だというのだとは、とらえることができない。実際は誰かがあなたに対しての何らかのメッセージを書いたとして、それをあなたはどのように受け止めればいいのだろう。
そもそも、それらの場合は批判であるから心を痛めるのであって、誰かに対しての批判を公の場に書いてしまうような人の言葉を、あなたは本当に受け止めなくてはいけないものだろうか?それはとってももったいないこと。エネルギーの無駄遣いだ。
何かを批判しようとして動き出すとき、生命はそれだけで道を踏み外している。そんなエネルギーの道連れになる必要なんてない。
♯批判のように感じられたメッセージの内側にはあなたへの愛が宿されているということもある。
#HSPって携帯電話でしょ懐かしいねってくらいに思えるといいんだけどね
実際の職場などで、あなたに挨拶をしない人がいたとして、それは本当にあなたに非があることなのだろうか。単に機嫌が悪かっただけとか、何か考え事をしていたということもあり得るし、きっとその通りなんだろう。
たとえあなたのことが気に入らなくて挨拶をされなかったり、何かを邪魔や嫌がらせをされたりしたとしても、それがなんだというのだろう。
この長い人生の道の上で、誰かが自分の行いに対して機嫌を損ねる。そんなことはあたりまえにあることでしょう。完璧を求めすぎるとき人生には壁が立ち上がってきてしまう。
ひとつひとつのことに全部、自分があのようにしたからだ、自分がここにいるからだ、あの人はきっとこうなんだ、なんて心に広がる情報空間の境界線をあいまいにしてしまうことで、苦しみは加速度を増す。
僕なんて今でも、誰かの僕に対しての思いを正確に察知したとしたら、きっと身動きさえも取れなくなってしまうようなこともあるだろうとわかっているから、思考を追いかけないようにしている。
それだけでなく、実際には僕のことを愛し、僕を引き上げよう、守ろうとしてくれている存在もあるというのに、大切な意識の持って行き場を見失うことはしたくない。あなたもおなじ。あなたが生きているということはあなたを愛している人がこの世界にいるということ。あなたは愛されている。
ありがたいことに、僕たちの人生。過去の行いは変えることができなくても感情は自由自在。今をどう考え、どう生きるかで、過去の感情は簡単に変わっていく。自分もそうだし自分以外もそう。感情は変わってゆく。
繊細な人々は確かに生きづらい。だからこそ気づくことのできる人生の真理もある。人の感情を変えることはできない。これに関しては、現状の感情に対してはあきらめるしかない。だけど未来と過去の感情には、現在の自分自身を変えていくことでアプローチすることができる。
身動きのできない状況に対して悔やむだけでは物事の解決は遠い。身動きできないと感じるなら、他者の感情にしがみつこうとしてしまう紐を手放してみる。
干渉と執着を手放す。
「まあいいか。それならそれで」という魔法の言葉があります。
僕はこの人生。この言葉で随分と救われてきました。
八方ふさがりだと感じるときも、四面楚歌だと思ってみても、それはあなたの境界線をなくした心が感じている妄想。
生きている限り光はある。
こんなことを書きながら、僕の過去を知る人が読んだなら笑われそうな自分ではあるのですが、それも過去の感情。
誰もが自分の価値観に沿って主張しています。みんな(奈落の底を見たことのないほとんどの生命は)自分が正しいのだと思い込んで生きている。SNSの時代。それはエスカレートしているけれど、巻き込まれる必要はない。
闇の中で責める側になるのか、光へ向かって歩む側になるのか。自分自身で決めたなら、あとはタロットカードの愚者のように、笑って旅を続ければいい。感謝の気持ちさえなくさなければ、人生はどこからだって立ち上がることができる。真心で接して執着を手放すなら、あとは結果は天任せ。

いずれはエンペラーのカードが正位置で出るでしょう。運命の輪のカードが正位置で出るでしょう。世界のカードが正位置で出るでしょう。
♯ドントウオーリービーハッピー
Makoto ATOZI