歌詞が幼く感じる瞬間があります。
それは、あたりさわりのない歌が出来上がったときです。
感情はある。まとまってもいる。
でも、何か刺さらない。
その時、歌は幼く聞こえます。
歌詞が幼くなる一番の理由は、
あまり考えずに書いていることです。
ここで言う「考える」とは、
難しい理論を用いたり、
哲学的なことを書くということではありません。
自分の書いた言葉がどう響くのか。
この歌は誰に向けて書かれているのか。
この歌の心に届く瞬間はどの部分にあるのか。
そのような俯瞰した視点で歌詞を見ながら、
曲を聴きながら、
「考えて書く」ということです。
作詞はポエトリーとは異なります。
手紙でもありません。
メロディーと一体のものとして、
必ず歌の根幹には構造があります。
構造を考えずに書かれた歌には、
必然的に幼さが滲みます。
構造のしっかりした歌とは、
例えるとすればシェイプされて、
美しい筋肉を備えた肉体のようなものです。
相反して、構造の弱い歌には、
体脂肪、内臓脂肪の多い肉体、
または痩せ細った身体と同じような印象があります。
まずは骨、骨格(構造)をしっかりと立たせる。
そして骨格に相応しい佇まいを置く。
それが「考えながら歌を書く」という書き方になります。
最初の頃はどうしても、
あたりさわりのない言葉で書くことが多いものです。
ここにも才能の有無という話は出てきますが、
構造を意識して、考えながら、歌詞を書くとき、
必然的に、歌は当たり前のものではなくなります。
考えて、心に向き合うとき、
あたりさわりではない言葉が降りてくる。
まずは形容詞が思い浮かんだなら、
浮かんできた形容詞の言葉を、
形容詞を含まない、
短いセンテンスの言葉に置き換える。
それだけで不思議と、
幼さは歌詞から消えていきます。
感情が動いていないのに書こうとしても、
歌詞が幼くなることはあります。
あまりに過剰な感情で書くと、
歌には余計なポテンシャルが宿り、
少し聞き苦しい歌詞になることはあります。
どのような感情で作詞に向き合うのか。
これはプロフェッショナルにとっても難しい問題です。
結局のところ「愛だろ」という話になるのだろうけれど、
この「愛」をどう紡いで歌にするのか。
これは永遠のテーマですね。
自分の歌詞が幼く感じるとき、
多くの場合は構造の問題です。
その視点を確認するために
作詞添削を行っています。
