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灯り ― 連載エッセイ ―02 音楽との出会い

灯り
― 連載エッセイ ―
音楽との出会い

田舎にある田園景色の中にポツンと建つ小さな喫茶店。
少し離れた裏側の場所には運転免許センターがありました。
この小さな喫茶店が私の幼少期の実家でした。
脚の不自由な母と、目の不自由な洋菓子職人の父で営む、
ケーキの小さなショーケースのある喫茶店。
店内にはいつも有線の歌謡曲リクエストチャンネルが流れていました。
壁にはたくさんの漫画がありました。
小学生時代、中学生時代、高校生時代。
私はそれらのカルチャーと、お店に集うお客様たちに囲まれて育ちました。
だから私は、一般的なサラリーな家庭の姿をあまり知らずに育ち、大人になりました。
私がクリエイターを志した最初の灯火は、この暮らしの中にありました。
自分で歌を書くということ。初期衝動が発動したとき、
初めての作詞作曲は、義従兄弟から譲り受けたギターで書いた歌でした。
A4のノートに歌詞を書いていたことを記憶しています。
私はいつのときも友達は少なく、いつも誰か一人とだけ深く仲良くなるという友達との付き合い方で過ごしてきました。
小学生の時にはKという幼馴染がいました。彼は私のヒーローでした。
運動神経がよく、明るく、元気。
Kはいつも、毎朝、「あと!おはよう!」と、当時、市営住宅に住んでいた私の住む玄関の前で声をかけてくれて、一緒に通学をしていました。
夏になれば通学路から外れた原っぱに並ぶ木を一緒に蹴って、落ちてくるクワガタを採集していました。当時はミヤマクワガタなども、簡単に見つかるような時代でした。
一時、私が通学中に怪我をしたことから心配した祖父が毎朝、通学路に立っていました。
祖父は通学する小学生の子供たちを毎朝見守り、見送っていました。
あの頃の富山の原風景。それは村の風景。
あの頃の暮らしが、私の詩・作詞の原風景を形作ってくれたのだと今でも思っています。
中学生になり、住まいが市営住宅から喫茶店に移り、その離れに私の部屋をもらいました。
そして中学2年生の時、Cちゃんとの出会いがあった。
Cちゃんは天然パーマで、心優しく、頭も良く、そして素晴らしくギターが上手だった。
この人生、色々なギタリストと出会ってきたけれど、いまだに私の中のギターヒーローはCちゃんなのです。Cちゃんのギターヒーローは高見沢俊彦さん、高崎晃さんでした。
私は見事にCちゃんの影響を受けて、中学2年のときに、THE ALFEEのコンサートに参戦し、初めてのホールで爆音で聴く音楽に人生最大ともいうほどの衝撃を受けました。
そして、その日から、私の脳裏には、私とCちゃんが大勢の観客の前で演奏をしている。
その姿が鮮明に描かれていました。
目を閉じると、私たちの演奏風景が心の中に浮かぶのです。
それは私の思考が現実化するという初めての体験でした。
20代のときに大きなホールでライブをする機会を何度か得たのです。
私はCちゃん出会い、Hさんという友とユニットを組みました。
ユニット名は『OVER DRIVE』
のちにCちゃんは社会に出てから短い期間ではありましたが、同名のバーを営んでいました。
中学2年生の始業式のとき、私は急性肝炎に罹り、2ヶ月間の入院をしました。当時の担任先生はとても心優しく、同級生の皆さんがお見舞いに来るように計らってくださいました。
そんなドタバタから始まった中学2年生の1年間。厨二病という言葉があるくらいで、私にとって、それはとても印象的な1年間でした。
Kがドラムをするという話だったのに、私は何かバカな対応をしてしまい、彼は剣道部に入り、中学校では少し距離ができるような状態になっていました。
Cちゃんは必ず予定の時間よりも早く現れる少年だった。
私は彼のその習慣を見て、いつしか自分も同じように約束の時間よりも早く来るという習慣を身につけました。
音楽業界では遅刻する人の姿を多く見ますが、一流の人々はやはり、しっかりと時間を守る。だから、私はこのときに感心したCちゃんの習慣には今でも感謝をしています。
Cちゃんへの感謝、もらった灯りはたくさんありますが、この早め早めの行動も、私にとっては人生の宝物となった習慣の一つです。
Kからは天真爛漫さ、悠々さを見習いました。彼は自転車の運転が抜群に上手だった。
彼の後ろに二人乗りで乗るとき、何があろうとも倒れないという、絶対的な安心感があります。あの安心感は、今も心にあります。どんな段差だろうと、どんな砂地だろうとKの自転車は倒れない。そんな確信がありました。だから私は安心して、彼の自転車の後部座席に乗っていました。
私の人生は常に極端でした。天と地のアップダウン。
人生で戻るとしたらどの時代が良いですか?という問いがあります。
私には、いくつか、この時代がいいなと思う時代があり、この中学2年生のときも、戻れるならもう一度、体験してみたい日々の一つです。
もしも私がそこに戻ったなら、やはり音楽を志しているのか。
または芸術の道へ進むという考えもあったかもしれません。
祖母、祖父、母、父、親戚の叔父叔母、従兄弟、従姉妹、K、Cちゃん、Hさん。お店に集う大人のお客様たち。
中学生までの私の人生の主要登場人物はそれらの人々でした。
そこには無償の想いがあった。
たくさんの灯りを受け取っていました。
小学生の頃はいじめにも遭いましたが、
それでも人生を辛いとは、その頃は思っていなかった。
この時代に受け取った幾つもの灯りに気づけたのも、
随分と大人になってからのことです。
昭和、とても良い時代でした。

詩 My Friends

思い出に立ち止まらないで
でも忘れないで

心のページを開けば
眩しすぎるマイフレンド

寂しさに出会う度いつも
振り向いてしまう

どんなに遠く離れても
なくせないよマイハート

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