作詞をしても歌が昇華されない理由|26年書き続けて見えた3つの原因
シンガーソングライターを目指して、または作詞家を目指して、
または趣味の一環として、作詞をする人は多い。
だけど、なぜか、手応えが感じられない。
良いと思うのだけれど、確信が持てない。
または、自分では良いと思うのに、聴いてもらうと評価されない。
そのような状態に悶々としている人は多いことと思います。
私は26年間、歌の世界で歌詞を書いてきました。
今も書き続けています。
私にも、感覚だけで書いていた時期もありました。
書けなくなった期間もありました。
書き続ける年月の中で、
歌の構造について学び続けてきました。
このブログ・コラムでは、作詞の迷路を抜け出せずにいる人々に向けて、
私なりの作詞・言葉論をお話しします。
作詞をする際によく言われる必須能力があります。
- 語彙力(比喩・暗喩・斬新さ)
- 韻
- テクニック
- 人生経験
- 時代を読む力
作詞にはセンスが必要だと言う人もいることでしょう。
では、センス、感受性、または、
語彙力とテクニックがなければ歌は書けないのか。
歌に関しては、
それらの一つ一つのことだけでは見ることのできない、
歌の土台となる要素があります。
感情の焦点をどこに持ってくるか。伝えることの芯。
言葉としての生命力。
ここに構造の力という大切な要素が加わるのです。
構造の力は、歌の生命力を支える土台に値します。
一つずつ見ていきましょう。
歌が刺さらない本当の理由① 感情の焦点が定まっていない
作詞に必要なのは、言いたいことを全て言うということではありません。
本当に必要な感情に焦点を当てて、それを一糸ブレずに伝える。
だから私は一度書き始めた歌詞は、
必ず書き始めた日のうちに最後まで書き上げることを推奨しています。
できることであれば最後の1行を書くまでは椅子から立たない。
途中まで書き、また途中から書く。
この方法では明らかに焦点がブレます。
それはAという時間に書いていたあなたと、Bという時間に書いていたあなたでは
すでに同じ温度のあなたではないからです。
歌のブラッシュアップには温度の違いが功を奏すことはあります。
でも、最初に歌を書き始めるときは、たとえ完璧にはならなくても、
必ず最後まで言葉を埋める。書き切る。このことを私は伝え続けています。
メモのように言葉の断片を用意しておくことは良いことです。
ただし、いざ作品の創作となると、必ず最後まで描き切る。
そうすることで、感情の焦点のブレを抑えることができる。
私はそう確信しています。
歌・詩を書いていて、伝えたいことが途中から脱線していく。
初めのうちは、
このようなことがよく起こりえます。
まずは何を伝えたいのか。
その感情はどこにあるのか。
それを言語化する。
言葉になる前に急ぐ必要はありません。
これは、この歌は、最後まで書くことができる。
そう思った時が書く時です。
歌が刺さらない本当の理由②| 伝えたいことが曖昧
これは①と通じていますが、テーマに焦点が合っていないことに起因します。
私が教えている生徒さんでも、
タイトルのない歌を提出される方が時々いらっしゃいます。
タイトルがない。それはすなわち主張がない。
象徴がないということです。
まるでどこの誰かもわからない、
名前のない人の発言のように、
それらの歌につかみどころが見えてくることはありません。
ただ感情を説明するだけには収まらず、情景を描き切ること。
歌に出てくる関係の体温を描くこと。
タイトルの一言で歌を表現すること。
伝えたいことが曖昧になる理由には、
安全な言葉を選びすぎていることもあります。
作詞においてかなり大切な定義。
それは、”今までに誰も表現しなかったことを言語化する”ということ。
そのためには安全圏にある言葉だけでは表現しきれないこともあります。
それとは逆に、過激な言葉、斬新な言葉を使いすぎることで、
伝わらなくなるということもよくあります。
想いと作品は別物です。
感情を削ぎ落として歌った歌は心に響くように、
作品作りにおいてあまりにも過剰な作品への愛情は、
それを上手に使いこなせない場合には逆効果になります。
作品への愛情はもちろん大切。
でも感情のままだけで書かないこともまた大切なことです。
そして、先ほどもお伝えしたように、
歌の中で伝えたいことが曖昧になってしまう理由の第一に、
構造の欠如があります。
歌の構造に関してはまた別の機会に詳しく話しますが、
それは譜割り、母音の配列、韻、物語の構築に関与します。
日本にある短歌、俳句のように、
構造のある言葉には生命に似た何かが宿ります。
ただ思うがままに言葉を書くのではなく、
ある一律の様式美に沿って言葉を紡ぐ。
その時、言葉は、歌として昇華されるのです。
歌が刺さらない本当の理由③|削る勇気がない
最初の方にも書きましたが、書いた歌が刺さらない。
言葉が伸びないと感じられる方々の特徴として、
書きたいことが多すぎる、
または少なすぎるという傾向が感じられます。
これは言葉の文化全てに通じることですが、
歌は削ることで輝き出す芸術です。
書きかけで終わらせていたり、
タイトルを考えずに完成したと思い込んだり、
推敲をせずに過信をしたり、
完成した歌の何たるかを知らずに歌に向き合ってしまっている。
ほとんどの方々がこの範疇に入ると思います。
自己満足と作品の昇華には明らかな違いがあります。
歌は場合によっては数万人、数十万人、数百万人の人々の心に届くこともある。
そうしてその人々の心の琴線を響かせるような作品。
それは書きかけの歌詞やタイトルのない状態の歌とは一線を画しています。
自分の書いたものを一度0からまた書き直す勇気。
一番気に入っている箇所を削り、もっと良い歌にする勇気。
立ちはだかる壁のそのもっと先までも届かせようとする常軌を超えた飛距離。
作詞には、それらを叶えてゆくのだという忍耐力が必要です。
歌を書くことに優れている人。
上達するような人には共通点があると私は思います。
曖昧な部分を直視して、他者からの指摘に恐れず、
自分の言葉の弱さを自分自身で分析することができる。
人からのフィードバックを感情で受け取らない。
書き直す回数を惜しまない。
完成系の姿が見えている。
そして、何よりも音楽が言葉が好きということです。
先の先を読もうとする姿勢も、
とても大切なことだと思います。
そしてパラドックスではありますが、
時代の先端を心に描きながら、
大地の輝き、普遍的な暮らしの営みを描くということ。
作詞の優劣は才能だけでは計れません。
経験、そして調律の力。
バランス感覚のようなものも必要であると思います。
歌と言葉の精度は鍛えることができます。
言葉/・歌は一人でも磨けます。
けれど、ときに外側の視点が入ることで、
自分だけでは見えていなかったことが、
見えてくることがあります。
必要な方にだけ、
その扉は開いています。
