作詞セラピーの価格を改正いたしました。

Skypeを使用した作詞セラピー。

価格を改正いたしました。

改正後 1時間×4回 月謝15,500円

Skypeを使用して、オンラインのマンツーマンシステム。

メール講座では補えない内容で作詞の技法をバックアップいたします。

 

(プロのシンガー、デビューを控えたレッスンなどの場合、

価格内容等は異なりますので別途お問い合わせください。

楽曲リリースを目的としたレッスン 月4回35,000円〜)

 

Makoto ATOZI

作詞セラピー

作詞セラピーのご案内です。

作詞家 Makoto ATOZIは人数限定で作詞セラピーという作詞講座を開講しています。

受講にはSkypeを使用します(使用方法がわかられない方はご相談ください)

月々、各4回(1回1時間)+メールでの質疑応答。

受講料 1か月15,500円(毎月受講は義務ではありません 価格改正しました)

Skypeによる顔の見えるオンラインマンツーマンで指導し、ご質問にお答えいたします。

仕事として歌を書くとき、作詞は苦しさを伴うこともありますが、

基本的に、「思いを言葉にして書き出す」という行為にはセラピーの効果があります。

自分の中の昇華しきれない思いを歌にする。または詩にする。

そのとき、あなたの心は癒されています。

悲しい歌を書く時も、前向きな気持ちを書く時も、

あなたは歌を書くことで、自分自身と向き合います。

今までにどこにもなかった作詞セラピーという新しい魂の開放手法。

ぜひ、お試しください。

スケジュールは14時ー19時の間で、折り合いの合うお日にちを選び受講日程とします。

ささいなことでも、何かお尋ねになられたいことがありましたら

お気軽にお問い合わせください。

あなたとの出会いを楽しみにしています。

 

Makoto ATOZI

 

     

    見えている世界

     作詞家としてデビューして、デビュー作がブレイクヒット。作詞家としてのデビュー曲が収録されたアルバム・シングルは累計500万枚以上のセールスになり、依頼されるアーティストの方々の歌を書き、環境が激変したことで精神が耐えられず、僕は何度も音楽の現場から離れたことがありました。

     スーパーの早朝清掃のパートをしたこともありました。トイレ掃除をしていると従業員の方が入ってきて、乱れた場所をまた掃除する。そんなときに、自分が書いた歌が店内放送から流れてきたこともありました。(あれはなぜあの時間にBGMがあったのだろう・・・)
    でも僕は掃除の仕事が大好きでした。世の中に感染症の広大が始まり、濃厚接触者になったことで退社しましたが(初期でしたので、世の中は今よりももっと過剰反応でもありました)掃除の仕事は今まで就職した仕事の中で(クリエイトではない仕事で)いちばん好きな仕事でした。
    いつか、もしもまた何か仕事をとなったなら僕はきっと清掃の仕事を選ぶことでしょう。

    僕は自分が歌を書き続けることで、人はどこからでもやり直せるのだということを見せていきたい。そう言うと、「ATOZIは今までの実績があるからそんなことを言えるのでしょう?」という言葉が聞こえてきそうだけれど、それは見えている世界だけでの認識で、実際のところ、今の僕の立ち位置から再復帰というのは宝くじほどの確立の狭き門なのだと当事者として見ています。
    年齢、今までの行い、様々な面から見て、僕のような経歴は探せば多いもの。何百万分の一という狭き門を抜けて建てた金字塔ではあったのだけれど、離れてしまえば幻のようなものです。
    でもだからこそ挑み甲斐があると決めて、今、僕はもう一度、歌の道を歩んでいます。

     誰もが自分が見ている世界と、自分に見えている世界から人生を判断しようとします。僕もそう。10年間ほども音楽業界を離れ、時々いただくお仕事だけで、あとは一般の暮らし。そんな暮らしをしていると、周りも僕のことをクリエイターとして見ないようになったりします。

    ましてや初めてお会いする人には僕は自分のことをクリエイターと明かさないことも多かったので、そのような暮らしが10年も続けば、僕自身も錯覚をし始めてしまいます。僕のいる町では、かなりのビッグアーティストに歌を書いても、そんなに驚かれないのです。ありがたいことでもあります。そうして、普通の日々を重ねてきました。
    あれ?僕ってなにも持っていないのでは?
    今までの人生っていったい何だったのか?
    こんな自己問答の苦しみを抱えて歩んできた日々でした。

     何もこれは自慢話として話しているのではないです。
    僕は思います。たとえば子供を産み育てている方々。親御さんの介護をされている方々。または自分の事業を精いっぱい頑張っている方々。自分の苦しみに向き合っている方々。この世界のすべての人間、生命は等しく尊く、それぞれにとっての大事業を行っています。
    僕の場合はそれが歌の仕事であったというだけのこと。
    だけれど、人は皆、盲点のある眼鏡で世界を見てしまっている。

     だから苦しみに出会ったとき、悩みを抱えたとき、自分に見えている世界の常識だけで問題を解決しようとしてしまう。突破しようと考える。隣の芝生が青く見えてしまう。
    そんな時に僕は思います。きっと、見えている世界のレンズをすこし変えてみるだけで、解決策は浮かび上がってくる。

     僕たちの見ているメガネは盲点だらけです。心地よくあるために見えない場所をたくさん作り上げてしまっている。それに筒のようになっていて、せっかく広く奥深いこの世界のほんの一部しか見ることができないようにしてしまっている。
    だからちょっとしたことで人をうらやんでしまったり、自分のことを蔑んでしまったり、未来に希望を持てないような気持ちになってしまうこともある。
    世界は広い。僕たちに見えていない世界があんなにも高く広く、僕たちを待っていてくれている。見つめていてくれている。包み込んでくれている。

     越えられないような困難?治らないような難病?どうすればいいかわからないような経済的な窮地?

     世界を広く見たならきっと、新しい言葉が聞こえてくる。光ある景色が見えてくる。誰がそんなことを言ったのか?その苦しみを決めたのは誰か?
    あなたの人生を決めることができるのはあなたの魂だけです。そして魂とつながっている天。
    この両者だけが、僕たちそれぞれの人生を導く舵を握っている。

     僕はここから確実に人々に光を見せる言葉、物語を見せる言葉、ワクワクするようなエンターテイメントと歌を書き続けていく。
    あなたにはその証人になってほしい。
    人はどこからでもまた再スタートすることができる。
    どんな苦しみからだろうと立ち上がることができる。

     僕の読者さんはみなさん自立した素晴らしい方々といつも記事を拝読しながら感じていますので、恥ずかしいばかりですが、こんなクリエイターもいるのだと、面白く感じ、応援していただけましたらと思います。

     僕もあなたの人生に声援を贈り続けます。
    誰もが幸せを感じられる世の中でありますように。

     世界は広い。
    眼鏡の角度を変える、または色眼鏡をはずして、見えていなかった世界を見ていく。そのとき、きっと、自分が見ていた壁なんてマッチ箱のようなものだったと気づく自分がいるでしょう。
    僕もいつでも世界を広く見ていける自分でありたい。

    僕が、あなたが、幸せでありますように。

     Makoto ATOZI

    (それだけの歌を書いてきたなら印税がたくさんあるのでは?ATOZIこそ盲点を見ていないのでは?という声も聞こえてきそうですが、ここは僕も見ている部分と見ていない部分があります。一時期はいい思いをさせてもらいました。そして経済的な苦しみを見てきた今。また新たな道が見えてきた今、僕には全てが開けていく景色が今この時とこの先にはっきりと見えています)

    11月の太陽

    11月の太陽

     昨夜は寝やすい気温の夜でした。心地よく目覚めた。いま、このコラムを書きながら、外では小鳥の鳴き声がゆっくりとチュンチュンと響いている。ハイファイな感じ。脳の高い部分に届いて心地よい。そして部屋の時計の音。

     タイトルの「11月の太陽」に、「今は10月だよ」と突っ込まれそうですが、今後、何かを書いたりする場合、このネーミングを添えようと考えています。…と、あえていうほどのことではないかもしれないけれど。

     不似合いかもしれないけれど、ぼく自身が、11月生まれで、日曜日生まれで、太陽の星座らしくて、思い浮かんだこの言葉がすごく気に入ったからです。

     11月の…とつけると少しだけ肌寒そうな太陽ではありますが、それくらいが丁度良いと思いました。

     歌を書いて22年。

     すごく恵まれたご縁ばかりをいただいて、それなのに、自己中心に生きて、多くの回り道をしてきた。

     だけど、それくらいのことがないとお前は気づけないだろうという、天の計らいで、自分にはこういう人生が与えられているのだと思う。

     この人生で本当に伝えたいこと。

     それは、ぼく自身が与えられてきた無償の愛。

     本当は誰もが与えられている無償の愛。

     それなのに暴走し、自分本位を生きる人間のおろかさ。

     心を整えよう。

     偉そうなことなんて言えないから、自分にできることをこれからも探そう。

     南の窓に日が射してきた。

     今日は1レッスン。しっかりと向き合わせてもらいます。

     5日間のファスティングも無事、越えて、身体も少し軽くなりました。

     AIに完全な正解(パラドックス逆説)な指令を与えるとヒートしてしまうように、本当の正解なんてない世の中で、いま、このときを、自分なりに生きるしかない。

     そうしてきっと、いつのときも、いまがベストアンサー、として歩みたい。

     がんばろう。自分なりに。

     身体中に笑顔がありますように。世界が笑顔に見えますように。

     ぼくが、あなたが、幸せでありますように。

     Makoto ATOZI

    朝焼け

    幸せを思う

     今朝の東の空は朝焼け。ここ数日の雨と低気温で重たかった空気が少しとけた感覚がある。今日はインスタグラムの更新を手伝っているお花屋さんへお店回りをしよう。呉羽梨を買っていこうかな。

     冬を控えて、少し慌ただしく、さみしさなどを感じたりしても、一巡してまた春は来る。

     空回りしながら、もがきながら歩む日々だけれど、いいことに気づけば、ありがたさでいっぱいになる。

     今日もがんばろう。

     自分自身の心とつながりながら、対話しながら、導かれながら。

     全てが尊い。1秒1秒。だけれどそれをすぐに忘れてしまう。

     深呼吸しなきゃ。

     今日もいい1日でありますように。

     ぼくに、あなたに、幸せがありますように。

    Makoto ATOZI

    好きと涙

     こんにちは。作詞家 Makoto ATOZIです。

     Amazonプライムなどに加入していると膨大な数の映画ドラマが見放題。なんという時代なのか。

     主人公の健気さ。予期しない展開。頑張れ。頑張れと画面越しにエールを送る。神々、天の存在はこんな風に僕たちのことを見ているのかと感じることもある。画面の中に、物語の中に、交わす会話と表情の中に、愛を見たときには心締め付けられるような気持ちになる。

     知らず知らずに涙が溢れている。ああゔぁって言葉にならない気持ちで画面を見ている。

     人が人を好きになる時。

     それはAがBを好きになるという単純なことではなくて、BがAを想う気持ちがつくりだした空間。想念の中でBが積み重ねていく想いと尊さに気づき、または無意識で察し、Aはそれを愛しく想う。愛は時間でもある。

     ふれあう温もり、外観的な美しさ、または親近感、または動物的な欲から生まれる愛に似たものさえも全ては、AとBが想いの中で積み重ねていく真実が大きなつながりを世界として映し出していく。

     点字教室ではアルファベットの打ち方の段に入りました。数字と同じくアエリウルラエレリオロという並びでローマ字と対応するわけだけれど、ラテン語にはWが無かったということから、規則性があまり美しくない。

     ここにDouble u つまりuuとしてあった表記がやがてWとなったという外来語の歴史がある。フランスを発祥とする点字でWという相互的観念がないというのは、仏、仏教にも通じるのか通じないのか、YouがダブルでWなのだ。Wという文字の歴史は浅く、若い単語も多い。

     10%ほどの見えている世界のことだけで物事を知ったように誰もが暮らしているけれど、僕たちの愛、気持ちは見えない90%の世界の中で離れようがない何かを交わし合い、新しい日々を描き続けている。

     好きと涙が描き出すこの世界を愛しく思う。人に言えない想い、言わない想いを尊く思う。

     誰もが本当は人が好きで、つながり合いたいと願っている。

     フィクションと言い切るのではなくて、ドラマ、映画を見ることで、泣いて泣いて吹っ切れることもある。音楽もいい。潜在意識に働きかけるパワーがある。

     作り物の中にも気づき、この世界を愛しく思える種はたくさんある。そうして本物の笑顔に出会えた時、その笑顔を作り出している想いを愛しく思い、世界は素晴らしいと思うことができる。Wという言葉のある世界。良いとか良くないではなく、Wというメッセージを知る世界。

     何があろうとも楽しく明るく、がんばりたいなあと思います。あなたが幸せでありますように。

    Makoto ATOZI

    人生の寂しさに何を語りかけようか

     ヨガが市民権を得て瞑想を日常に取り入れる人も多くなったのでしょう。瞑想領域にいるとき、僕たちは心を見ている心に気づくことがある。どちらの心も自分ではありながらも安心感に包まれる。

     どれだけ科学が解明されようとも、本当の心のありかを解き明かせる人はきっといない。心理学では心と脳は同じという考え方が定説らしいけれど、僕はどうにもそれがよくわからない。

     だって誰かを想い、心を巡らせたときには胸がいたくなる。お腹のあたりで物事を考えていることもある。自分のずっと後ろの方で自分自身を抱きしめるかのように物事を考えていることもある。

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     心は単数ではない。私は私だなんて僕たちは思いがちだけれど、それだけでは説明のつかない動きが心にはある。

     出会いの数だけ心は豊かになる。

     僕たちはともしびを灯し合っている。あなたの住む街、世界には必ずあなたのことを想っている人がいる。想い、祈りは空を飛び交っている。つながっている。だからあなたは今を生きている。

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     すごく寂しくて耐えられそうにないような夜もある。それでも僕たちは決して1人なんかではない。あなたは愛されている。心の中では全てが生きている。

     僕たちはみんな世界から愛されている。そうして愛されている光が心となって、何かを伝えようと誰かを助けようと、今日もまた1日を頑張っているる。

     誰だってみんな寂しい。

    「俺は寂しくなんてないよ」なんて言う人も世は諸行無常。ひと時だけならば気の迷いもあれば人生なんて玉手箱で様々な場面が用意されているからもちろん寂しくない時期というのも誰にだってある。

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     この世界には愛がある。全ては愛でできている。花が育つ。青空が輝く。雨が降る。大切な人のことが気にかかる。何かあるなら全力で向き合い、あらゆることに対してまっすぐでありたいと願う気持ちを誰だって持っている。

     それを愛と言わずに何を愛と呼ぶのだろう。

     心と愛をつなげてみようとしたときに僕たちは何を見るだろう。もしかしたらこの世界の真理に気づけることもあるのかもしれない。

     あなたがもし今寂しくても、それもいつまでも続いたりはしない。心にはみんながいる。

     ライフイズビューティフル。

     真実なんてどうでもいい。美化してしまえばいい。自分の中で世界を美しく見ていればいい。そのとききっと心のありかに気づく。そうして僕たちは遥か昔に忘れていたような安心を取り戻すことができる。

     人生は寂しい。

     それでも価値がある。

      今朝、目覚めてからずっとこのことが心にあったので、心が伝えようとする言葉を書いてみました。

    人が祈るときには、何かがこうなりますようにという形だけではなくて、許してくださいという気持ち、寂しさを癒してくださいという気持ち、あの人に心が届きますようにという願いがある。

     それは必ず届くのだと思う。何かを通してきっと。

    人生は寂しいものだよね。寂しい時もある。でも素晴らしいものだよね。人生、がんばりましょう。

     きっといいことがある。

    想いをずっと描いてきた

     今までに書いてきた歌詞のストックの一部を開いて眺めていた。
    22年の月日。いろんな歌を書いてきた。

    アイドルの歌。自分の両親ほどの齢の歌手の歌。男歌、女歌、本当にいろんな歌を書いてきた。

    このラインより上のエリアが無料で表示されます。

     10年ほど前に書いた歌詞を読むと、こんなことを書いていたのかと、とてもとらえどころのないような、それでいて自分への確信に似たような感覚になる。不思議な運命。

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     実際には軽く1000曲以上の歌詞を書いてきているのだろうけれど、
    クラッシュしたPCの中に眠ったままの歌も多いから、全体の数はわからない。

     デモ音源でいうならば、僕の手元には、国民的ヒット曲のデモ音源がたくさんある。僕の歌詞でのリリースにはならなかったけれど、誰もが知っているような歌の音源。制作段階の資料。たくさんある。とても貴重な資料だ。

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     若かった頃、地元のラジオ局のディレクターさんに「僕は作詞家になります」と真顔で宣言してから、いろんな場所で自分の未来を予言してきた。
    笑われていたと思う。あいつ大丈夫か?なんて思われていたかもしれない。夢見がちな愚か者の姿に見えていたのでしょう。

     作詞家になりたいなんて人のこと、僕もあまり信用できない。

     それでも僕は歌を書くことで生活をしたかった。歌を書いて暮らしている自分の姿がはっきりと見えていた。途中、過去を手放したり、全く音楽から離れてしまったりしながらも22年。実際は、歌を書いていない期間は2020年から今までの間だけ。十分に充電をさせていただいた。

     休んでいると宣言している時にも、もう音楽仕事はしないと話した時さえも、お仕事を与えてくださる方々がいた。

     ありえないようなほどにありがたく大きなお仕事をことわってしまったこともあった。ごめんなさい。

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     人にはどうしても得意不得意ということがある。僕は自分の心の中にある
    あふれそうなほどの歌を、これからも全力で放ち続けたい。

     人生には永い夜もある。もう明けることはないのではないのかと思ってしまうような暗いときもある。それでも必ずまた朝は来る。

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     自分自身の人生・軌跡を振り返るのも、ときにはいいものだと思う。過去に縋ったりしちゃいけないけれど、それも全てを含めて自分なのだから。
    捨て去る必要なんてない。

     思い出に立ち止まらない。でも忘れない。

     今もまだ人生の課題は盛りだくさん。こんな悠長なことを書いていられるような立場ではない。それでもね、風は起こるんだ。

     あきらめなければ道は続いていく。

     旅人は教えてくれた。

     「恐れなくていい。振り向かずに行きなさい」

     見えない何かを確信しながら、自信を持って歩きだそうか。根拠のない自信。

    あなたも。

     奇蹟はある。

     本当さ。

     それが、この世界の真実だ。

    ゲレンデがとけるほど雪だるま

     20代に勤務していた会社の社長と専務がスキー好きで、当時、スキーはまるで会社の行事のようでもあった。

     社内旅行以外でも何度か連れて行っていただいた記憶があります。

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     スキーができることが、参加できることが、勤務評価の中にも若干入ってくるような時代。いい会社でした。バイタリティある上司に憧れていました。

     体育的なことがあまり得意ではなくて、高校のスキー旅行でも上手に滑ることができませんでした。だから会社でのスキーツアーではスノーボードをセレクトしました。

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     当時はまだスノーボードブームの始まりで、スキー場全体を見渡してもボーダーはまだらにしかいなかった。

     ボードはスキー場でレンタル。ドキドキ。

     スキーウエアも持っていなかった。普段着ているボアのコートがボードウエアっぽかったのでそれで滑ることにしました。普段着です。

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     若さとは、それだけでバカなのか。ボアのウエアは雪がひっつくひっつく。

     見た目はスキーウエアもどきでも、フリース素材の普段着なのだからあたりまえです。

     みるみるうちに身体全体はモコモコの雪だるまのようになりました。

     恥ずかしかったので、とにかく転けないように、方法を編みだそうと考えに考えました。それでも答えはないし、現状として身体中は雪だるま。

     横を通り過ぎていくスキーヤーはみんな珍しそうに見ている。

     上司も、会社の女子たちもきっと笑っていたというか、恥ずかしい気持ちで見ていたのだろうなと思います。

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     人間恥ずかしさを纏うと無になれるもの。

     そこで僕は、下や足元を見ず、風に任せ、景色だけを見て、自由に楽しもうと決めました。

     そのとき、一瞬空気が軽くなり、ボードは滑り出し、今までの人生で一度も体感したことのないような、安心とときめきの世界が眼前に広がりだしたのです。

     雪だるまは颯爽と滑り出しました。

     一度も転けることなく、僕はそのとき、ゲレンデを滑りきることができました。

     身を預けるという感覚。

     全てを委ね、世界を信頼する感覚。自分自身を信頼し抜いた感覚。

     時間感覚は何倍にも広がり、景色の美しさがより際立ち、姿勢が正されていくのがわかりました。壮大なるパラノマに包まれていました。

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     スキー場へ行かなくなって、10年以上が経つけれど、あの感覚は今もこの身体にあり、それは、日々の中で迷いにあるときに僕を救ってくれています。

     ついつい、感情がオートマチックになりそうなとき、自分がしている動作に気づかせてくれる力。自分の内側から自分自身に与えてくれる安心感。

     何度も何度も忘れてしまいそうになりながらこの人生を歩んできました。

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     心と身体の中にはいつも本当の自分自身がいる。

     僕たちを見守る空、大地、風の中にはいつも本当の自分自身と本当の世界がある。

     あなたがもしも人生の中で、それらのことをふと忘れてしまいそうなときは思い出して欲しい。

     委ねるだけで全てがうまくいくことは多い。

     信頼することの力。安心することの力。

     委ね生まれる喜びがもたらす自由。

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     時代は様々な影を僕たちに見せてくる。

     食べ過ぎたり、怒りを処理できなかったり、欲の中にある善悪が見えなかったり。

     とにかくもう、何もかもがうまくいかないなと思えたり、そういう積み重ねで空気感を重くさせつつあるようだけれど、本来の僕たちは自由。

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     こんな偉そうなことを言えるような生き方は何一つしてきていないけれど、それでも、あの頃を思い出したこの朝。

     文章にして書いてみたいなと思ったのです。あなたに伝えたくて。

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     何度でも何度でもチャンスは与えられる。

     僕たちはただ、風に乗り、安心の中にいるだけでいい。

    四次元ポケットはトイレの中で

     図書館からの帰り道。新調した自転車を走らせていました。

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     三輪車みたいな大きさの折り畳み自転車からグレードアップ。Yahooショッピングで安い順、一番最初に表示されていたロードバイク。

       白色のベースにパステルベージュのタイヤで汚れが目立つので、帰宅後は毎回タオルで磨いて部屋内で保管することにしました。

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       毎日、自転車の鎮座する寝室で寝袋で寝ています。このワンルームには神棚と仏壇もあります。それと仕事机と姿見鏡。

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     帰宅の道で自転車を走らせて、信号に差しかかったとき、前方から歩いてくる一人の男性がいました。

     彼は両手で口元に菓子パンを持ち、食べながら歩いてきました。僕に気づくと、彼はサッとジャンパーの右側のポケットへと菓子パンをしまい込む。

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     ははーん…と見抜きました。

     ああ、これは彼のルーティーン。歩きながら菓子パンを食べる。誰かとすれ違うと、ジャンパーの右側のポケットへとしまい込む。人が通り過ぎた後には、また菓子パンを取り出して両手で持って食べながら歩く。

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     歌人穂村弘さんのエッセイなどを思い出す。男性のポケットの中にある菓子パンのクリーム具合を心配しながら自転車を走らせました。

     人は鏡。

     あの男性と同じようなことを僕もたくさんしているんだろう。自分では気づいていない妙な仕草。きっとあるんだろうと思いながら、車社会の田舎で自転車移動をする52歳。

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     一人暮らしをしていると、自然とひとり言が増えてくる。

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     毎日、瞑想をしているので、気づきは持っている気持ちでいながらも、トイレの中でのひとり言が多い。トイレの窓は隣人と上の階のお二人の通り道にあり、用を足していると彼らの歩いていく音がよく聞こえる。

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     突然「よし頑張ろう!」とか「そうか!わかった!」とか「ありがとう!」など、大きな声を出してしまう。

     隣人は何思う人ぞ。

     「よし!よし!よし!」なんて言っていることもある。

     大きな声のひとり言でございます。

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     自分のことは自分ではよくわからないことが多い。この世界はみんな、許し合いの上に成り立っている。

     歩き方。食べ方。暮らし方。何かを蔑むのではなくて、その内側にある真心。純粋さ。情熱。諸行無常の良さなどを受け入れたい。

     「これでいいのだ」

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     人を責めるよりも先に、自分が本心で望む姿を追い求めよう。

     たとえそれが人から見たなら全くできていなかったとしても、たった1日の中でも何かがきっと昨日よりは一歩前進しているはず。

     人の仕草のいとおかしさよ。

     おかしさから生まれるいとしさは人の尊さよ。

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     追伸

     先日、ローソンでお店から出て自転車に乗ろうとしたら、隣の自転車から異様なオーラが漂っていました。

     ベージュのジャケット(推定4Lサイズ)の男性がおもむろにカレーライスを荷台に置いて、マーガリンの箱を開き、何をするのかとみていたら、マーガリンを四等分し、すべてをカレーライスに投入、まぜまぜ。

     ああああ、なんということを、なんとタフな身体、と余計な忠告をしようかと思いましたが、春だし、余計なことに関わりたくない僕は颯爽と業務スーパーへと駆け出しました。

     人は鏡なのでしょうか。

    Makoto ATOZI