私の幼少期の記憶には、喫茶店の匂いがある。
ただ、そこは決して洗練された美意識の場所ではなかった。
父はおしゃれな洋菓子職人ではなく、
昔ながらの昭和の焼き菓子を実直に作る人だった。
100円のケーキを売る、小さな店。
けれど、その生活の中で、
大人たちの会話や
商いの匂いを見ていたことは、
確かに私の原点だった。
離れには、父と親戚が自分たちで建てた小さな厨房があった。
私の子供部屋は、その厨房を抜けた、さらに奥の離れにあった。
小さな厨房には、焼き釜があった。
全体としてかなり小さな家だった。
カステラを焼く匂いに包まれて、
喫茶店のお客様たちに遊んでもらい、
幼少期の私はそれが普通の暮らしと思い暮らしていた。
カステラを焼く釜の匂いは、
ただ良い匂いというわけではなかった。
そこには洋菓子を焼く材料の、独特の匂いがあった。
父は京都と関西で修行した洋菓子職人で、
母とともに喫茶店を営んでいた。
地元の病院の売店へパンや菓子を卸す日々もあった。
そこにあったのは、華やかな芸術ではなく、
生活を支えるための手仕事だった。
1個100円のものを売る世界。
記憶が確かなら、
ショートケーキも150円か180円だった。
幼稚園のクリスマス会へ卸す際などは1個100円のケーキを人数分作っていた。
よく覚えていないけれど、
コーヒーが200円ほど。
お客様のコーヒーチケットがカウンターの背面の壁に貼られていた。
開業時のノベルティーはマッチだった。
そのマッチは今も私の宝物として、いくつか仕事部屋にある。
お店にはケーキ用の小さなショーケースがあった。
ショーケースの上には十円玉を投入するピンクの電話機があった。
母は脚が不自由なので、店内はとても小さく、
今思い出すと4人掛けのテーブルが4個。
カウンターに4席という、とても小さな喫茶店だった。
テーブルゲームが2台あった。
テニスゲームとインベーダーゲーム。
写真に写る『クリスマスケーキ予約受付中』の看板の文字は、
子供の頃の私が描いたものだと思う。
私は知らず知らずのうちに、
友達といる時間よりも、
大人たちの会話の中にいる時間の多い子供になっていた。
その感覚は、小学生時代から20代まで、
ずっと続いていたように思う。
時代の熱は変わった。
あの時代を思い出すと本当に、
時代はあれから何度も変わってきたと痛感する。
あの小さな店で見ていたものが、
後に私が服や音楽や言葉に求める
“本物らしさ”の原点になったのだと思う。
人間が本当に求めている灯りは変わらない。
あの頃、うちのお店が販売したケーキで、
多くの家庭がクリスマスを迎えた。
クリスマスケーキは今思えば信じられないほど売れていた。
私も毎年、夜なべでデコレーションを手伝った。
喫茶店での幼少期、バンド少年の時代、
アパレルブティック勤務の時代、クレープのお店の経営の時代、
2000年代の音楽業界、幾つもの尊い出会い、低迷期、
人生の一つ一つの軌跡が、
私の表現には灯されているのだと思う。
芸術は今、この時代に向けて、何を差し出せるのか。
人々に熱があった、ありし日の時代。
私は、確かに、その熱を見てきた。
活気ある時代の音楽業界の姿も見てきた。
愛と懺悔のような時間も通ってきた。
綺麗ごとだけではない、
堕落に見るような悟りでもない、
それらを通りながらもまだ底に輝く灯り。
危うさも、浅はかさも、輝きも見てきた。
だから今、もう一度、
表現に何ができるのかを考えている。
倫理を失わずに、どこまで心を打つことができるか。
人を傷つけずに、どこまで常識を壊せるか。
生活を破壊せずに、どこまで人生を作品に賭けられるか。
美しさを諦めてしまいそうな時代の風の中で、
芸術・言葉・音楽には何ができるのか。
文章で何ができるのか。
音楽はどこまで届くのか。
私は、この命を使い切るようにして、
この人生で伝えるべき表現を行いたい。
それはまだ、朧げなものも多い。
過去と未来とが無意識でつながる時、
何者かが私に、それを書きなさいと告げる。
子供の頃の私が私に、
ときどき独り言で、ありがとうと言ってくることがある。
知らず知らず一人でいる時に、
感謝を口にすることがある。
いや、それは今の私が、
あの頃の私に伝えたい言葉なのかもしれない。
ちなみに母と父は健在だ。
いただいた灯り、
今もいただいている灯りを無駄にしてはいけない。
私は生きている。
ならば生きている限り、
言葉に灯りをともす。
そのために生まれてきたのだと、
無謀にも、胸の奥で確信している。
詩人・作詞家
Makoto ATOZI
