芸術とモラルに灯りをともす

最近、ファッションデザイナー山本耀司さんの魅力に打ちのめされ、
山本耀司さん関連の動画、書籍を漁っている。

書籍『服を作る モードを超えて』の中で、
山本耀司さんは坂口安吾の『堕落論』を
飛行機に乗る時などに、お守りのようにバッグに入れているという話があり、
私も今、それを読んでいる。
芸術、文学、生き方ということについて、とても深く考えさせられている。

今は『桜の森の満開の下』を読んでいる。
私は今のところ、坂口安吾の見ている世界にそのまま身を置くことはできない。
時代と場所の違いもある。生い立ちの違いもある。
その強さに惹かれる部分はありながらも、
私はその場所に留まりたいとは思わない。

物語、音楽、芸術の世界ではモラルの破綻による美は確かにあるように見える。
表現はモラルを揺さぶることがある。
しかし、表現者自身がモラルを失ってよいわけではない。

これは人間の深部を描いているのか。
ただ倫理の破壊を見せ物にしているだけなのかを、
自分で見極めなければならない。

綺麗ごとだけでは表現は弱くなる。
今は希望の世界だけを書いても届かない時代かもしれない。

しかし、暗さや堕落を、
そのまま肯定するだけでは表現は濁る。

現実の闇を見たうえで、
それでも人間をどこへ連れていくのか。
そこに表現者の責任がある。

いま、速く、強く、
刺激的なものほど届きやすい時代の中で、
美しい表現、本気の表現は、
少しずつ過去のもののように扱われつつある。

美しいものは、
その存在期間が短いからこそ美しいという考え方もある。
それでも人間の表現には、
ながく本当の美が宿るものがある。

綺麗ごとに逃げず、堕落にも逃げず、
心と心が一瞬、つながる表現。

そのような表現力を私は、
これからも自分自身に欲している。

優等生ではなく、モラルの破綻でもなく、
人間としての表現。
5歳の子が聴いた歌を100歳になってもまた聴く。

そのような表現をこれからも行っていく。

Yohji Yamamotoから始まった美を探す旅。
山本耀司さんは、坂口安吾が堕落と表現した場所を、
何段も高い場所へと上がるように服を作る。

私にはそのように今、見えている。

表現を整えることは、生き方を整えることでもある。
人生を頑張りたい。

詩人・作詞家
Makoto ATOZI

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