人は何かを表現するとき、
つい記号に頼ってしまいます。
物語を描くとき、絵を描くとき、
服を作るとき、言葉を書くとき。
孤独を表すために「夜・闇」と書く。
反骨を表すために「黒・赤」と書く。
愛を表すために「花・太陽」と書く。
悲しみを表すために「涙・酒」と書く。
希望を表すために「光・未来」と書く。
もちろん、それらの言葉が悪いわけではありません。
ただ、その言葉が本当に心から出ているのか、
それとも「それらしく見せるための記号」として置かれているのか。
そこに歌の立体感の差が出ます。
悲しみを書くために「涙」という言葉を使ってもいい。
希望を描くために「光」という言葉を使ってもいい。
「孤独」「愛」「夢」「未来」も使っていい。
けれど、それが借り物の感情に見えると、歌は弱くなります。
それらの記号の中に、時間は含まれているか。
その言葉は、自分の時間から来ているのか。
ただ言葉を埋めるのではなく、
記号を超えた思いがそこにはなければならない。
逆に、ありふれた言葉でも、
その人の実感が通っていれば、聴く人に届くことがあります。
ステレオタイプな言葉に頼らなくても
とても素直に歌を書くことはできるはずです。
ここが「心の言葉」と「記号的言葉」の違いなのだと思います。
「悲しい・眩しい・寂しい・愛しい」などの形容詞も、ときに記号として働きます。
これらの言葉はそれだけでは印象でしかなく、
物語の本質を預けるには言葉としては軽い。
だから、本当の重さのある言葉を、
私たちは素直な気持ちで歌に向き合う必要があるのだと思います。
ファンタジーで歌を書くことはあります。
自分の思いを根底に置きながら、
描く世界観は完全にアーティストの世界観に合わせる場合です。
この場合、記号性が強くなりすぎると歌は軽くなります。
聴き心地の良さだけで乗り越えることもできますが、
よく聴くと、そこに深い感情や時間があると感じられる歌詞。
そのような歌詞が書けて初めて歌は昇華されます。
私自身この文章を書きながら、
自分自身も結局は記号や誰かからの言葉に頼っているところがあると感じています。
創作において、完全なオリジナルだけで立つことは、とても難しいことです。
でも、記号として知っている言葉を自分の時間の中で語るとき、
その歌では言葉の中に含まれている世界が動き出すのだと思います。
言葉が記号にとどまっているのか、
それとも心から出ているのか。
自分ひとりでは、その違いに気づきにくいことがあります。
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詩人・作詞家
Makoto ATOZI
