若い頃は、
当時、富山市中心街にあったブティックの販売店員をしていた。
私が販売していたのはレディースのPOU DOU DOU、そしてGray Magic。
その後、富山駅前にあるCICビルというショッピングビルへ移り、
Dezert、Pazzo、ベネトンなどの販売主任として数年勤務した。
あの時代に見たファッション業界、世の中の動きは、
私の作詞をする際の感性に、今でも深く作用していると思う。
その時間は、私にとって単なる販売経験ではなく、
人の佇まいや時代の空気を感じるための学校のようなものだった。
このファッショングループに在籍していた時の常務がクレバーで、
私は常務の大胆な仕事の進め方に時代を切り開く力を見ていた。
当時の私の憧れの姿でもあった。
今思えば、販売側とはいえ、
当時の常務は富山のファッションシーンにおいて、
とても大きな仕事をしていたのだと思う。
昨日、Yohji YamamotoのA/W 2026-27の動画を見ていたのだけれど、
このような動画を部屋で誰でも見ることのできる時代を不思議に思った。
そして、ファッションの文脈も理解した上で、
Yohji Yamamotoのような服が似合う作詞家でありたいと思った。
あのような姿勢でクリエイティブに向き合っていたい。
私が勤務していたファッショングループではY’sの店舗も展開をしていて、
私の当時の部下の女性販売員は、Y’sを心から愛していた。
ベネトンで働きながらいつも着ている服はY’sだった。
自由な時代だった。
私のアパレル時代。
始まりはロードサイド型のジーンズショップだった。
安価な服を扱うお店だったけれど、
Levi’s、カーハートなどはUSA製を販売していて、
ユニフォームとしてかなり買っていたから、
あれを今持っていたら一財産だったのかもしれない。
私が販売させていただいていた
Dezertというブランドの服が好きだった。
何が好きなのかと言われれば、
ボタンのディテール、単丈に横広なデザイン、
レーヨンの形の良いシャツ、
US古着を元にしたアウターなど。
そうなのだけれど、
Dezertには言葉で言える良さを超えた何かがあった。
それは感じるものであり、
着たら感じられる何か。
着た人を見ると感じられる何か。
この何かに魅了され、
当時の私はDezertの服しか着ていなかった。
Dezertの名作の数々は、
今では古着市場でもアーカイブとして高値がついているようだ。
このような仕事をしたいと思う。
手に取った人に何かを感じてもらえる仕事。
ここにしかない。
これでしか感じられない。
これでしか味わえないと感じてもらえる何か。
その何かを探し続ける。
それがクリエイティブというものの本質なのかもしれない。
感じる。
今日もまた何かを感じながら、
この1日を生きる。
あたりまえのような日々の中にも、
愛と喜びと平和を。
思い通りではないことの中にも
愛と喜びと平和を。
私は感じながら生きていきたい。
詩人・作詞家
Makoto ATOZI
