【作詞講座コラム】日本語を洋楽のように響かせるには——母音・リズム・メロディーの身体感覚

私が平井堅『楽園』の歌詞を書いたのは2000年のことでした。
その前後で宇多田ヒカル、m-flo、LOVE PSYCHEDELICOなど、
洋楽の聴き心地を感じさせる日本語の歌が人気を博しました。

この頃から少しずつ、日本の音楽の歌詞の扱い方が進化しました。
特に宇多田ヒカルの小節をまたぐように言葉をのせる歌詞の書き方はとても衝撃的でした。

それ以前の邦楽の様式美を大きく更新するような歌詞の書き方で、当時は賛否両論もありました

m-flo、LOVE PSYCHEDELICOのように英語と日本語の割合を半々ほどにした歌詞の書き方も後に続く多くのアーティストに多大な影響を与えました。
それでもこの歌詞の書き方で独自の世界観を表すことができるのは一部のアーティストに限られるようです。
そのわずかな違いを見極めることができたなら、
歌詞の書き方は、もう一段深い場所へ進むことができます。

私も2000年、今から26年前、平井堅『楽園』を書くとき、
ただ日本語の歌として、
言っていることと字面が良い歌というだけではなく、
音楽としての成熟を目指して歌詞を書きました。
そしてアーティスト自身の卓越した歌唱力により、
楽曲『楽園』はそれ以前には希少だった世界観を描き出すことができました。

洋楽のような歌詞を書く。
それは単純に英語を多く使うということではありません。

日本語にある母音と抑揚の特徴をよく把握する。
メロディーの心地よい場所に心地よい母音をはめる。
日本語のリズム、語感をそのままに音楽的に昇華する。

言葉で言えば簡単そうに見えます。
このような歌詞を書く際にはブラッシュアップの上にさらに重ねるブラッシュアップが必要になります。

歌詞には正解がある。
それが私の見解です。
もちろん、表現に唯一の正解があるという意味ではありません。

けれど、あるメロディーに対して、
言葉が最も自然に立ち上がる場所はある。
私はそれを、歌詞の正解と呼んでいます。
メロディーと言葉が、ひとつの身体になる瞬間です。

音楽が生まれた時には、
必ず、その音楽に合う最適解の言葉が用意されている。
音楽の神がいるのだとすれば、本気で歌を書く時、
音楽の神は私たちを最適解の歌詞へと導いてくれます。
私はその感覚を何度も体感してきました。

洋楽的な歌詞の書き方には様々な要点があります。
今日はその一点をお話しします。

洋楽のような歌詞の書き方に関しては、
一回だけで話せるような内容ではありません。
そのため、今後何回かに分けてお話しします。

たとえば母音の響きで言うなら
『宇宙』と『自由』はよく似た母音が含まれています。

そうなのですが、実際に1コーラスと2コーラスの同じ場所にこの言葉をはめて歌ってみると、
どちらかの響きが日本語として不自然に聴こえます。

韓流アーティストなどではこの不自然な響きがキュートに魅力的に聴こえることがあります。
敢えて狙ってこのような響きを採用するのか、
または同じ抑揚の言葉を選ぶのか。
それだけで歌のアイデンティティーは変わってきます。
日本語の歌では、その不自然さを魅力として採用するのか、
自然な抑揚を選ぶのかを、
より慎重に判断する必要があると私は思っています。

また日本語には硬い印象の言葉、たとえば『僕たちは』や『いつまでも』のような言葉がある一方で『最高に』『情熱的に』など滑らかで流線的な言葉があります。
または跳ねるような言葉で『きっとずっと』などの言葉もあります。

このような流線的な言葉、跳ねる言葉を、
メロディーと最も自然に響き合う場所に当てます。
この時、言葉だけがメロディーと合うのではなく、
なるほど、そうきたかと思わせるように深い意味の言葉、内容にする。
そこが作詞家の腕の見せ所です。

洋楽的な歌詞を書くには、
まず徹底的にメロディーを身体に入れることが必要です。
どこまでメロディーを理解できているか。
それはすべて、歌詞の完成度として表れます。
そうして身体に完全にメロディーを入れた状態で歌詞を書く時、
流線型な言葉がメロディーに合致して浮かび上がります。
それが洋楽的な音源の場合、
唯一無二な洋楽の聴感のある歌詞として響きます。
作詞は一人で完結することもできます。
けれど、第三者の視点が入ることで、
見えていなかった輪郭が見えてくることがあります。
必要な方へ、扉は開かれています。

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歌詞の方向性、サビの弱さ、メロディーと言葉の関係、
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