【作詞講座コラム】AI時代に、歌詞の構造感は失われるのか

どんな言葉を材料としても、
AIが良い歌にしてしまう時代に、
作詞家が考えるべきことは何か。

今日は、AI時代に増える
“構造のない歌詞”についてお話ししてみます。

私自身、最近、
これをオリジナル曲と言って良いものかどうかはわからないのですが、
自分の歌詞を使ってAIによる音楽実験を行っていました。

成果は私の当初の期待を遥かに超え、
一聴上ではわからないほどに良い歌に仕上がりました。

でも、そのときに3曲の楽曲の生成をしてからは、
私自身はAIでの音楽生成には、
あまり興味がなくなってしまったのです。
ただこの気持ちは、
もしかしたら変わることもあるかもしれない。

Apple Musicなどの配信サービスでは、
AIで生成した音楽がチャートインすることも今では普通にあるようです。

SNSなどでもAI生成の音楽は上がってくる。
そうしてそれらの音楽を聴いていると、
歌詞の構造が十分に意識されていないように感じるものもあります。

AIの知能は素晴らしく、
人間側が語数と音数を完全に無視して、
意味だけが良い内容の、
歌詞と言って良いものかどうかわからない、
手紙のような想いの吐露のような言葉を書いても、
それを音楽へと昇華してしまいます。

このように作詞の構造が十分に意識されない音楽に、
人々の聴覚、心理的感覚が麻痺してしまうことを私は懸念しています。
そしてそのような未来は現実的に迫っていると思います。

そうしてAIで生成された、
作詞の構造が曖昧なまま成立した歌は、
内容だけは良い場合が多いのです。

だけど歌おうとすると歌えない。
覚えられない。
なぜなら歌詞の根幹の構造が出来上がっていないから、
覚えることのできない名曲が仕上がるのです。

私はAIを否定したいわけではありません。
これからもエンターテインメントの世界では、
人間とAIの共存は宿命のように大切なものです。
私はそう思っています。

サンプルとして、叩き台として、
歌のきっかけとしてAIを使用する。
そのことまでは否定はしません。

ただ、音楽や歌詞の構造を深く学ばないまま制作に参加する人が増え、
それらの音楽がある一定数を超えて世の中で表現されたとき。
人々の身体感覚として、
深く身体に残るエンターテインメントを観る審美眼は残るのだろうか。
そのように生成された音楽に、私たちはどのような価値を見出していくのか。

私たちは今、試されているのかもしれません。
どのように表現し、何を受け取るのか。

私はもう一度原点に戻り、
歌詞の構造と身体感覚を見つめ直したいと考えています。

AIが歌を形にしてくれる時代だからこそ、
人間の側には、より深い構造感が必要になる。
どこに言葉を置くのか。
何を削るのか。
どこに余白を残すのか。
どの言葉が、歌の重心になるのか。
作詞は一人で完結することもできますが、
第三者の視点が入ることで、
見えていなかった輪郭が見えてくることがあります。

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