世界の見え方

 noteを読んでいるとHSPと宣言している人の記事をよく目にする。実際に診断を受けてのことかもしれないけれど、これも時代の流れの一つなのか、僕の若かりし頃には聞いたことのない言葉。

全人口の15-20%。5人に1人。かなりの割合でHSPは存在しているという。

HSPには4つの特性(DOES)があるのだそうですね。
D=Depth of Processing(深く処理する性質)
多くの人々にとっては簡単な事象であっても、深く見て、真理を理解しようとする。
O=Overstimulation(刺激へ過剰反応)
刺激への反応が過剰。疲れやすく、逃さずに反応をする。
E=Emotional response and empathy(強い反応 共感力)
心の境界線が薄いことから共感する力が強すぎる。
S=Sensitivity to Subtleties(些細なことへの察知)
通常では気づくことのないようなこと、五感などに対して察知する感度が強い。

 僕もそうなのだけれど「共感覚(音を色として感知するなど)」などもHSPの特徴のひとつに入るのかもしれない。
以上のDOESはインターネット上にあった情報を僕なりの言葉で解釈してまとめてみましたが、これをひっくるめて、アート感覚(芸術家体質)ということもできる。
クリエイターと呼ばれる人々には必須の感覚でもある。ゆるく鈍感(一般常識的)な感覚のアーティストって面白くない。
だけれど、鋭敏な感覚を持ちすぎるがゆえに現代では生きづらさも生まれてくる。

 30年前ではありえないような過激な表現も、今のNEWS、ネット、音楽、ゲームでは行われていて、情報多寡から、狂気に近いといえそうな現在の空気感を気にせずに生きることのできる人たちと、影響を受けまくる人達がいる。知らず知らず生命は接したものから影響を受けている。

 ある人は、「美味しい!美味しい!」といいながらステーキにかぶりつき、ある人は恐る恐るステーキを口にした瞬間に気絶してしまうかもしれない。
これは決して大げさなことではなくて、極端に繊細な人々の心の奥では、一般的感覚ではありえないようなことも、現実のこととして存在している。

 例えば今朝、布団から起きたばかりの繊細な生命に、「あなたが目覚める5分前に地球は新しく生まれたよ」と言うと、たぶん、そのことだけでかなりの期間、悩んでしまうかもしれない。遥かな宇宙に想いをリンクしてしまう。現実と妄想の境界線がぼやけてしまう。「あなたの心の声は全部、みんなに聞こえているよ」といえば、真に受ける生命もあるでしょう。

真面目であり、誠実であり、神のような、目には見えない存在とつながりがあるからこそ(またはそう感じているから)世界を神話のように見てしまうこともある。
もちろんこれはHSPというよりも、繊細すぎる生命の、ある一部的な傾向ではあるけれど、繊細(過敏)ということはそういうことで、物事を「まあ、いいか」としておけない。

 次から次へと不安材料を見つけてしまうことで、逃げグセがついてしまうこともある。極端に真面目な場合は逃げないで向き合おうとするために倒れてしまう。すべてをつなげて考えてしまう。全部自分ごととして考えてしまう。

だから周りは困ってしまう。本人も困っている。
責任感は人一倍で、普通の人の何千倍もの勢いで後悔し反省するのに、場合によっては、簡単に物事を投げ出したりするように見えることもある。実際に繊細な人は思慮深さは過激なほどでも行動に関しては後先を考えない人も多いのでしょう。
このような人々はサラリーには根本的に向いていないのだから、個人の才能を生かせる場所へと周りで導いてあげるべきだ。
性質的に偏っているからといって排除しようとするのではなく、せっかく持っている感性を生かせる場所がこの世界にもっとあるといい。

繊細な人はまっすぐであることが多い。(そのように受け止めない人、繊細さを出来損ないのように見るも多いけれど、実際に本質は実直なタイプが多い)嘘を見抜き、嘘を言えないという性格は本当は、とても貴重。

 あきらめる力を身につけたとき、繊細なハートはつよくなり、繊細だからこその豊かさが実ることもある。
笑って許し合えるような世の中であればいいのに。失敗を恐れなくてもいい世の中になればいい。どうすればそうなるのだろう。

がむしゃらに頑張る姿は美しいけれど、心を壊してまで頑張る必要はない。逃げたっていい。自分を生かしきれないような場所に居続ける必要はない。

そして人を信じていればいい。世の中を信じていればいい。20年前の僕に言いたい。信じなさいと。不安材料を探すことをあきらめなさいと。
こんな世の中で、感覚に敏感になってしまうと、なかなかにつらい。だけど、苦しんでいる心をわかろうとする心もまた、想像以上にたくさん存在している。この世界は自分自身が疑いを抱く前まではいつのときも天使たちが住まう世界なのだから。何も考えずに接するなら、相手も事前意識などは持たずにいてくれる。

精神的に不安定な人をあざ笑うような人も、いつ自分の身にそんなことが起こるかなんてわからない。世の中は移ろいゆくからあらゆることは起こりえる。何を精神的なつらさと呼ぶかは人によって異なっている。

 笑うものは、いつか笑われる。ながい人生の理。

「なるようになるさ」と生きるしかないなと思う。
僕はそうすることで、少しは心が楽になってきました。

「そのときはそのとき」未来を憂うなんてもったいない。過去を悔やんでも戻せない。でも感情は一瞬で変化させることができる。

 手放して手放して、何もかもが自分にはないな、と思ったあたりから人は楽になるのだけれど、そんなことをしなくても楽になれる道はきっとあるよね。この世界には実際に摩訶不思議なゾーンと現実的なゾーンは共存しているのだから、まあそんなものだよねって委ねられたならフラットに生きることもできるはず。

 今日のコラムが何の役に立つのかはわからないけれど、僕なりの経験から投稿してみました。

 僕が、あなたが、幸せでありますように。

 Makoto ATOZI

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