こんにちは。作詞家 Makoto ATOZIです。
僕はわかったようなことを話す時、周りの人はもっと人生を深くみているという前提で話をしています。
中には偉そうに聞こえることもあるかもしれないけれど、それでも、僕のような生命の言葉が届く人も一定数いると感じています。そういう方々に向けて、僕なりの気づきを伝えようと話すことがあります。悲しみが癒されるように、新たに悲しみが生まれることのないように願いを込めて。
もしも、あなたにとってみれば、こんな話をわざわざ聞かなくても…という場合はスルーしてください。
僕には作詞家として歌を書く時、自分なりに叶えたいことがあります。
自分なりの志で歌を書いています。それは「闇を抱えている生命に光を見せてあげたい」ということ。この願いを持って僕は歌を書いています。そんな資格があるのかと言われれば、ないかもしれないね、という気持ちですが、それでも、僕は伝え続けます。
僕たちの悩みの根本はどこにあるのか。それは自分の大切な生命に喜びを与えることができない時、抱えてしまう闇。
逆にいうのであれば、僕たちの幸せは大切な人を喜ばせてあげることにある。喜びの種は物質だけではない。言葉もあれば、心もあり、時間もあれば、体温であることもある。
人生の道の上で何か良いことがあると、愚かな生命は自分だけの幸せを追い求めてしまうことがある。そうして気がつけば何を手にしてきたのかがわからなくなった宝島の上で立ち尽くしてしまうこともある。取り返しのつかないような時間の上で嘆くこともある。
女性は愛されることに喜びを見ます。だから幸せをいつも感じながら生きることで、美しくなれるし、人生の真実を知ることもできる。私なんて、とは言わないほうがいい。愛嬌を持って喜びを見ればいい。嬉しさの感度を上げる。
男性は愛することに喜びを知るのだから、相手の言葉を真剣に聞いて、まだ相手が素直で真実を語っている間に言葉を聞いて相手の中に入り込んで言葉を記憶することが幸せにつながる。
大切な人が本当に欲しいものは何なのか。
自分が本当に欲しいものは何なのか。
人生なんて本当に短い。そして喜びを与える相手が見当たらなければ限りなく長い。与えられた時間の中で、どんな言葉を使って旅をするのか。
短く感じられる人生を生きる生命は幸せなのでしょう。精一杯に生きている証。
僕たちの想像では見えない闇を探してみたって仕方がないけれど、大切な生命に喜びを与えるために生きる人生は間違うことはないと思う。
僕はできることならば歌で喜びを与えたい。出会う人には望んでいる喜びを与えたい。喜びを与え続けていたい。
喜びを与えること。分かち合うこと。喜びを見ること。
幸せって本当はとてもシンプルなのだと思います。
自分の後悔を心にお伝えしました。
Makoto ATOZI