2年間、スキンヘッドにしていた髪の毛を、ここ2ヶ月ほどまた伸ばし始めている。
2019年冬、世界に少しずつ異変が起き始め、スティホーム、天災など、このままの暮らしではダメなのだと感じ始めていた僕は、様々なものを手放しました。
車を手放し、事務所兼の一人暮らしには大きすぎた住処を引っ越しして、衣服、家具、その他諸々、手放せるものは手放しながら、日々を過ごしてきた。まだ少しあった過去の業績にすがる気持ちも、そのとき、一度手放した。
人形、人が関わるモノなど、破棄しようがないものは神社のお焚き上げサービスにお願いをした。
髪の毛も、T字の髭剃りで全て剃り落とした。
「僕自身がお月さま、そして太陽になるんだ」なんて言って、頭を見せて、笑ってもらったりしていたけれど、本気だった。
毎日、頭皮をピカピカにしていた。明るい場所にいると、頭、輝いてますねって言われて笑いあっていた。
静かに生きることが、「大切な存在」を守る方法だと思い込んでいた。
あらゆることがありえるのだと思うと、本当に大切なもののありかがわかる。
フィジカルを超えた、自分自身のこころと、親しい生命のこころ。
だけれど、僕たちは万能ではなく(このフィジカルな場においては)必ずいつでもスーパーヒーローになりきれるわけでもない。
万象は様々な因をはじまりとして、縦横無尽に「いま」という姿を見せてくる。
世の中のうねりから2年ほど、慎ましく、身を清め、多くを求めず、目立たずに、いつか自分自身は塵のように消えたならいいと考えていた。
つぶしのきかない身の自分、生涯パートなどの働きとアルバイトのようなデザインの仕事で、小さな暮らしで、食いつなごうと考えていた。
最後は一人かもしれないけれど、なんとか誰かに頼み、どこかで撒いてもらおうと。風になればいいと。
2022年に入り、人のこころも、この世界の法則もそうなのか、やはりまだある煩悩と愚かさからか、あまりにも極端へと行き過ぎると、物事は揺り返しを起こし始める。
あらゆる経済活動を嫌悪し、社会(人の本質)の暗部を否定して、ストイックに生きる生き方のみを肯定し、神秘性に偏り、極端な経済的活動を否定し、ただ好きではない簡素な勤務で、意味もなく生きるような生き方に、本当に意味はあるのか、祈るだけで、働くというだけで、節約倹約だけで、自分を少なく少なく評価することで、人は幸せになれるのかと考え始めてしまった。
最安値のものしか購入しない世界に、画一化されていくショーウインドウに面白みはあるのか。芸術や、本当の自由はありえるのか。たましいの喜びはあるのか。
何もいらないとする生き方に対して何が与えられるのか。
慎ましさと、見窄らしくあることとはちがう。
思えば、この10年以上。自分らしさを放棄し続けてきた生き方をしてきた。笑われていて当然だ。僕らしくないのだから。
激動の2年だけではなく、自分自身の安堵のためか、自分ではない自分になろうとする日々を生きてきていた。
過去を切り離し生きてきた。
自分は何者なのだと、自分自身に問いかけてみた。
今の自分には、答えなんて見つからなかった。
肩書きにも、実績にも、確かな自分なんてものはなく、全ては移ろいゆき、今という時間だけがある。
ただわかるのは、自分に嘘はつきたくないということ。
好きを選んで生きていたいということ。
自分が自分らしくあって、本気で人生と向き合えていた日々を、しっかりともう一度、思い出したい。
ならば、いままで剃り落としていた髪の毛を、今度は切らずに伸ばそうと思い始めた。
カッコをつけて美容室にお願いすることもなく、ただ伸ばしつづけようと。
ここからの日々で、自分にある毛(気)
大切な親しい生命への思いを守りつづけようと、自分らしくあろうと、気持ちが変わった。
減らした持ち物を増やすつもりはもう一切ないけれど、自分らしさまで手放す必要はない。
何もかもを手放して出家するような生き方が仏教で言うところの幸せなのかもしれないけれど、僕の場合は、その前にどうもまだやるべきことがあるようだ。
世界は無数にある。あらゆることは起こり得る。
何が起きようとも、それにたじろぐ必要はないし、恐れる必要もない。
後悔も、懺悔も、それを感じ、嘆くことができるだけの、ともしびを持っているのであれば、あらゆることに立ち向かうべきだ。
正解もその逆も、正義も悪も、見る角度で変わり、本当のことなんて誰一人としてわかりはしない。
自分自身が、こうありたいのだと思う生き方をすることだけが、これから先の把握しきれないような未来へ行くパワーとなる。
何かを責めてみたり、羨んでみたり、後悔をしたり、足を引っ張ってみたり、そんな時間の余裕は誰にも与えられていない。
きっと、自分らしく生きようと決めたとき、自分らしさを生きるだけの時間はきっと、この世界にはまだまだ生まれていく余地がある。
そんな気がしている。
世間の底辺を生きている、人生ゲームから崩れおちたかのようなクリエイターのひとり言です。
もしもあなたがいま、または今後、哀しみに、寂しさに、後悔に、懺悔に、万象に、打ちのめされそうなことがあったなら、
自分らしさを思い出してほしい。
元気をこころに宿してほしい。
この世界に小さな手を握りしめて生まれてきた。
一人一人は全てがスーパーヒーロー。
ハートの奥には、あたたかなともしびを持っている。
世界すべてから否定され、認められていないような気持ちになったとしても、諸行無常のこの宇宙では、マイナスの磁場はいつまでも続いたりしない。
自分らしく、大切なことを、大切とわかるならきっと、
あらゆることは乗り越えていける。
そうして生きていこうとするたましいには、きっと、
光が必ず与えられ見えてくる。広がっていく。
きっと、そうさ。
元気元気。
Don′t Worry Be Happy.
なんのこっちゃわかりにくい、
まとまりのないような投稿。
伝えたいのは、「決めつけないことが幸せの近道」ということなのです。
なんだか、僕はそう思います。
思い込まず、決めつけず、ねばならないを抱え込まない。
こうでないといけないなんてことはないのだと思います。
僕はね。そう思っています。