自転車で風に乗る少女

何年前だろう。今と同じような気候の日。

まだ僕が車に乗っていた頃、フロントガラスの向こうに、自転車を走らせる健康そうな少女の姿を見た。

あたりまえにある普通の風景。

何か、とても大切な思い出のように見えて、

一編の詩を紡いだことがある。

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それがこの詩です。

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自転車で風に乗る少女

 

詩
 阿閉真琴

自転車で風に乗る少女

あえいうえおあお と笑顔の練習

自転車で風に乗る少女

あえいうえおあお と健康な口

自転車で風に乗る少女

黒髪にハツラツと 前へゆく

追いかける白い雲

少女は
立ち漕ぎで

あ え い う え お あ お

自転車で風に乗る少女

青春短し恋せよ乙女

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今日も、お花屋さんでのWEBデザインワークの帰り道、

ある高校の付近を自転車で走っていたら、

目の前に女子学生が二人。

 

自転車に乗った女の子が「バイバイ!」って明るく言って、

友達と手を振り合って、僕と同じ道を走り出したのです。

僕は少女の後ろを走っていて

(つけているわけではありません…。あしからず。)

「自転車で風に乗る少女」の詩を書いたときと同じような感覚になって、いました。

ただ一心に、「幸せでいてください。この少女が幸せでありますように」と祈っていました。

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まさか後ろを走っている年齢不詳の自転車男が、

ひたすらに自分の幸せを願っているなんて思うはずもない。

少女は、とても爽やかに走り続けていく。

黒髪少女の姿はまるで、これからの彼女の未来を明示するかのようで、

背筋がまっすぐで、後ろに束ねた髪は軽やかで、

時々、ふわっと宙に浮かぶかのような姿で走り続ける。

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いつの時代も少女たちは、瞳の中に水平線を見ている。

遥か彼方にある「願いの日々」のために、

一所懸命に、青春を生きている。

 

少年たちは瞳と心の奥に地平線を見て、

恥ずかしさから、それを表さないまでも、

いまできることを、スポーツを、勉強を、友情を、遊びを、精一杯に、青春を生きている。

泣いて、笑って、怒って、くやしさにまた泣いて、

バカやって、落ち込んで、未来描いて、

自分を好きになれなかったり、

何かをきっかけに、大好きになれたりして、

ときを前へと運んでいる。

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「最近の若者は…」という言葉は、

遥か古代文明の遺跡壁画からも発見されているというから、

若者には若者にしかわからない世界があり、

彼らなりの、彼らならではの宇宙を生きている。

そうであってほしいなと思いながら、

年齢不詳のクリエイターおじさんは自転車をこいでいました。

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少年少女の姿を、頑張っている親御さんたちの姿を、

温かなご老人の姿を、町で見かけると、

「幸せでありますように。どうかいい人生を。いい人と出会い、悲しみは少なく、喜びがたくさんありますように。彼女(彼)の願ったことが全部、叶えられますように」

と、目の前を行き過ぎる人に対して、

そのとき届けたい祈りを、

心で思ってしまう。

知るべきことを、きっと、

知ることができますように。

知らなくてもいいことは、

知らないままで幸せでありますように。

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なにひとつ、できてこなかった気がしてしまう人生。

感謝と懺悔と祈りが、ごちゃごちゃになって、

泣きそうになってしまうこともある。

きっと僕だけでなくて、こういうバカは、

かなりの数、この世界には、いるのだと思う。

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だから、あなたが何気なく歩いている道で、

あなたが今日の献立を考えているときにも、

何かの悩みごとに、塞ぎ込みながら歩いているようなときにも、

「幸せでありますように」と、

道ですれ違う誰かから祈られているかもしれない。

親しい家族、仲間は、もちろん、いつのときも、

あなたの幸せを祈っている。

言わないだけだよね。

そうやって地球は周り、引力と重力が美しく作用して、

僕たちの生命は循環している。

捨てたもんじゃないどころか、

本来は限りなく美しい惑星、地球、人生。

ライフイズビューティフル。

見方によっては、

変態すれすれに見えるクリエイターおじさんのひとりごとでした。

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