いろんなことがありました

 春眠暁を覚えずというのに、朝1時に起床。目が冴えていて、スッキリ感もある。そのままモーニングルーティーン。祈り、掃除、瞑想などをして、食事をして、若かりし日に書いた歌のMVをYouTubeで観ていました。

 22年も前の歌。モノトーンのMV。寂しげな老齢男性の姿を自分と重ね合わせる。

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 西暦2000年。

 30歳の若造が、何を思い、何に嘆き、何に希望を描いて、この歌を書いていたのか。あの頃の気持ち、場面がフラッシュバックする。ビッグバンのような激しいマグマを抑えきれず、走り続けていた日々。

 人生は本当に不思議なSTORYを持つ。

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 僕が仕事で書いた歌が収録されている様々なアーティストのCDは、いまもCDショップへ行けば必ず数十種類、棚にある。面出しをしてあることも多い。

 ふと入ったショップのスピーカーから、自分が書いた歌が聴こえてくることもある。ドキドキする。我に返る。半額以下になったバナナや野菜を買おうとしているときに、自分が書いたヒットソングが店内のスピーカーから流れてきたりする。 近年では、僕は、スーパーマーケットで清掃のパートをしていたことがある。トイレ掃除をしながら、店内放送で流れている、自分が書いたヒットソングを聴いていました。とってもシュールだ、なんてシュールなんだ…なんて思う。

(弁解するつもりもないけれどトイレ掃除は僕のライフワークの一つです。誰にも譲りたくない作業)

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 10年以上前の歌たち。

 今でも、TVの音楽番組で流れていることもある。歌のタイトルでエゴサーチをすれば、毎日、数人、時期によっては、膨大な人数で、誰かが、それらの歌についてつぶやいてくれている。

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 僕は、いま、小さな古いアパートで、まるで方丈記のように暮らしています。

 光熱費の支払いさえ滞納して、待ってもらうような日々。経済難民。

 人生は面白い。もうあまり欲張る気持ちもない。

 本来これくらいの収入があるのではないかと、業界に向かって叫ぶつもりもない。

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 それでも、一つの時代の中で、面白いことをさせてもらえました。

 仕掛けたことは成功しました。なかなか見ることのできないような世界も見させてもらった。会えるはずのないような人たちと出会い、仕事をさせていただけた。これからもささやかに、自分にできる面白さを仕掛けてみたい。

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 SNSなどが苦手で、一時期、音楽制作から離れたのも、急に名前が表に出ていくことで、嫉妬想念のカーニバルを感じてしまい、身動きが取れなくなるような圧に負けそうだったから。

 自分から退いた。

 素晴らしい仕事も、いくつも断った。

 noteではささやかな数の方々が見てくださるだけなのだけれど、

 それでも、とてもありがたく思っています。

 幸せなことだと思います。

 ほんの少しの種から始まる喜びがある。

 小さなことから始まる、ワクワクがある。

 面白いことはいつも、とてもとても小さなことから始まる。

 全ては循環している。

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 限りある人生の時間の中で、今度は30代の時とはまた違った角度から、僕なりの、僕だからできる面白さでインパクトと喜びを届けたい。

 なんてね。まあね。なんだかね。ひとりごとのような、こんな言葉たちが、いつか大きな意味を持つかもしれない。

 胸の奥に流れている歌たちが、「ぼくらの歌はまだ終わらない」と言っている。

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 世界がどんな現実を見せてこようとも、生きているスピリット全てには、それを変えていけるだけの力も与えられている。愛は今もある。

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 幸せな人生は自分次第。

 「道を歩みなさい」と、未来の姿が呼んでいる。

 出会えた宝物たちが呼んでいる。

 「大丈夫さ。超えてみなよ」

 聞こえている。

 人生はゲーム。見られている。見ていく。仕掛けていく。

 こんな時代だ。もうおそれたりしない。

 一緒に見に行きませんか?

 こころに優しい風の吹く世界へ。

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