作詞セラピー

こんにちは。

現在、Makoto ATOZIは作詞セラピーという講座を開講しています。

心にある想いを歌(歌詞)にする喜び。

歌を作りたいけれど、歌詞の書き方がわからない。
想いを表現する方法を学びたい。新しい趣味が欲しい。
心癒されるような趣味が欲しい。

そのような方々に向けて、作詞セラピーというレッスンを開講しています。
作詞のスクールは、世の中にそんなにも多くはありません。
どこで学べばいいのかがわからないという方に、
楽しく学べますよう、丁寧にお教えいたします。

ピアノ、ギター、各種楽器が弾けて作曲もしたい。
オリジナル曲を作るからには作詞は重要。
だけれど、
作詞の本当の書き方を教えてくれるような場所はあまり見当たらない。
または楽器は弾けないけれど、なんだか作詞に興味がある。

今までに様々なジャンルの歌を書いてきたMakoto ATOZIが
あなたのためにマンツーマンで歌書きを指導致します。

Makoto ATOZI PROFILE
作詞家 Makoto ATOZI
代表曲 平井堅『楽園』 V6『ありがとうのうた』(ASZ-PROJECT)
嵐『トビラ』『ONLY LOVE』『Firefly』
前川清『霖霖と』 中村美律子『ようやったね』
TRIPLANE『アイコトバ』(共作) ESCOLTA『明日への足跡』
おれパラ『眠るものたちへ』
上白石萌音『ジェリーフィッシュ』など (敬称略)

2000年より歌の世界での活動を始め、現在に至る。

レッスン&ビフォアアフター
受講後あなたの毎日が更に輝き出しますように。
誠実にレッスンさせていただきます。

***** なぜ作詞セラピー? *****

この講座の名前は『作詞セラピー』です。
講座名の通り言葉によるセラピーを行います。

すでに書きかけの歌詞がある場合は、
より良い歌作りへ作詞の基本をお教えいたします。
0から書いてみたいという方には、
作詞についての基本、
そして、より伝わる歌になるためのルールをお教えいたします。

あなたは、あなた自身の言葉で、
歌を書くことで、自分自身を癒します。

そして、もしかしたら、あなたが描いた言葉や世界は、
あなただけでなくて、ふれ合える誰かの心に、
希望のともしびを灯すことがあるかもしれません。

仕事として歌を書くときには苦しみを伴うことが多いものです。
講師はそのことを何度も経験してきました。

それでも、歌を書くという行為には、
一種のセラピーのような効果があります。
自分自身が心底癒されるという体験もしてきました。

あなたの歩んできた道を歌にする。

歌を書く。
自分の思いを吐露する。
自分自身の経験を織り込み、
誰かを救いたいがために歌を書く。
誰かの心に届けたくて歌を書くとき…

そのとき、ソングライテイングは一種のセラピーになります。

ご自身の想いが素敵な歌詞になったときの喜び。
体験してみてください。
ご自身の書いた歌詞にメロディーがついて、誰かに届いた時の喜び。
想像してみてください。

Makoto ATOZIと一緒に、
歌を書く楽しみを人生に取り入れてみませんか?

クリエイトの本質は愛です。
全く新しい趣味として
新しいあなたに出会うことができる。

これは『言葉』を通じて行われる
とても新しい希望のアクションです。

(この講座では作曲理論は扱っていません)

作詞セラピーの目的

①   暮らしの中のメディテーションとして学んでいただきます。

歌詞、詩を書くとき、誰もが自分自身の心、そして親しい人々、
住んでいる街など、自分の暮らしに向き合います。
心の中から生まれ選ぶ一句一句の言葉。
今の自分に気づき、未来を思い描く。
歌詞、詩には必ず、感謝、願望、決意などの想いが含まれるものです。
自己実現の手法としても、言葉、詩を紡ぐことはとても有効です。

②   新たな交流

もしもあなたが楽器を弾くことができるなら、
より魅力的な歌を書けるようになることで、活動の場が広げられます。
もしもあなたが楽器を弾くことができないのであれば、作曲をできる人と出会い、
歌を作るというライフワークを始めることができます。
実際にそのようにして、運命により素晴らしいアーティストの卵と出会い、
デビューした作家の例はかなりあります。(当講座ではありません)

③   音楽の聴き方が変わる。

「歌はやっぱり歌詞が大切だよね」と多くの人は言います。
それでも実際はほとんどの人々が、歌の奥にある制作者が伝えたいとしたことに、
気づけていません。
作詞法を学ぶことで、きっとあなたの音楽性は、より進化し、
自身のプレイリストも大きく変わります。
誰かに音楽をお勧めするときにも、的確な音楽を選ぶことができるようになります。
あなたのセンスがさらに磨かれます。

作詞セラピーではこれらのことが実現しますように、講師はレッスンを進行いたします。
ぜひ、一度ご体験していただけましたらと思います。

 

ご興味がございましたら是非一度お問い合わせください。

1時間月4回+メールでの質疑応答

1ヶ月月謝15,500円(Skype マンツーマン)

Makoto ATOZI

    リリース情報 上白石萌音『ジェリーフィッシュ』

    ジェリーフィッシュ

     上白石萌音さんのアルバム『name』(2022年7月13日発売)に収録された『ジェリーフィッシュ』という歌の歌詞を書かせていただきました。

     敬愛する作曲家 金子隆博さんからいただいたお話で、国民的女優であり、あまりにもの豪華作家陣の中でどうにかなってしまいそうな気持ちの中、書かせていただきました。

     JAZZサウンドの濃密で緻密なメロディーに上白石萌音さんの優しくつよい歌声が心地良いトラックです。母音の響きが耳と心をくすぐります。書きながら音楽を未来へ持っていくのだという感覚がありました。

     ジェリーフィッシュは日本語ではクラゲですが、スラングとしては臆病者という意味も持っています。

     混沌とした時代の中で、モラトリアムな弱さを持ってしまった時代子達。はぐれながら泳ぎ続けるぼくたちはつながり合うことを求めている。

     あなたの心に届いたらいいなと思います。

     YouTubeでも聴くことができます。(でもCDショップでジャケットを手にしていただけたら嬉しいな)

    Makoto ATOZI

    たましいの来た道 続き②

     抽象さ満載な書き方ではありますが、たましいのふるさとなんて、本当のところがわからないので、仕方がありません。

     人生には限りがある。

     僕もあなたも、この人生を終える時が来る。

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     そんなことなんて考えたこともなかったような人々も、いつまでも自分だけは生き続けるとなんとなく思っていたような人々も、2019年冬あたりからの激動の時代に面して、人生のあとさきを考えるようになり始めた。

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     音楽、芸術、科学、道徳、人生、あらゆることにおいて極める際に重要なことは死生観。

     終わりから物語を描く。

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     一時期、藤原新也さんの写真集「メメントモリ」が注目されたことがあった。

     僕もあの写真集に衝撃を受けた。

     僕の表現手法の中心には、「メメントモリ」が持っていた世界観が知らず識らず含まれている。

     良し悪しを抜きとして、影響を受けている。

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     ブッダは、死と病気の恐れからの脱却をはかり、仏教を立ち上げた。

     しかしながら、2500年の時を経て、語り継がれてきた内容は四方八方へと広がり、全ての言い分(教え)を聞くと矛盾に満ち溢れてしまう。

     我のない境地を目指して瞑想を行い、アートマン(自分という確かな存在の連続性)は存在しないと言い放つ。

     消滅を至上とする中に幸せはあるのか。一理違うと思う。

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     この命果てるとき、空は光で覆われ、黄金のきらめきに母父、仲間たち、ご先祖さま、または天使たち、妖精たち、またはフェニックス、または我が家のペットだった愛犬プチ、神々が空から現れ、またはニュッと隣に現れ、驚きとともに人生を悟らせ、光のもとへと吸い込まれていくのだろうか。

     それとも、さあご臨終となった次の瞬間、目を開けたなら、まだベッドの上で生命は続いていて、なかなか死ぬこともできずに、自分(あなた)だけは何千年も何万年も生きる初めての生命体になってしまうのか。

     フィジカル(物体的)な寿命が尽きた瞬間。

     たましいとして瞬間移動が可能になるのか。あらゆる万物に宿り、すべてにおいてすべてとなり、この世界の謎がいともあっけなく解けるのか。

     まったくもってわからない。

     わかるはずがない。

     わからないから、今日も何気なく生きていることができる。

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     いまだに誰にもそれを解くことはできていない。

     誰にも解明できず証明することもできない。

     量子物理、量子のもつれ、遺伝子、さまざまなことが解明されようとも、さて、ではたましいはどこへ還るのかと問われれば、誰一人として本当のことを知らない。

     全ては推測でしかない。

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     予言のように、経験者のように語られようとも、万人に当てはまる答えがあるとはどうも思えない。

     「量子のもつれ」、なんて、「漁師のもつれ」くらいにいい加減な言葉にも見えてくる。

     それでも自分の瞳を内側から意識して、自分の口を鼻を身体を内側から意識して気づいてみたなら、心のありかには、確かに気付くことができる。

     ここにある。

     最後、それがどうなるのかなんてわからない。

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     とりあえず毎晩眠って、「最後の日に似たような」ことを毎日体験している(眠り)。眠っている間にどうなるだろうとか、目が覚めなかったらどうしようなんてことは考えない。ぐっすりとしたもんだ。

     もしかしたら眠っている間にミサイルが落ちていたのかもしれない。自分も全ても無くなって、焼け野原になった場所が起きた瞬間に、目が開いた瞬間に、いつも通りの場所としてここにあるなんて物語もなくはない。

     パラレルな世界がもしもあるとするならば、国の有無も歴史も違うかもしれない。

     眠っている間に、神々が会合を開き、ある神が発言し「私は考えが変わった。人々にもう一度最高の人生を与えたい」なんて話を進めてくださっていたなんて物語もなくはない。

     だからいい。これでいいのだ。

     ああ、今、生きている。春の風が心地よい。仲の良い人々もいる。笑顔にも会える。ごはんが美味しい。青空が美しい。

     まあいいか。難しいことは考えなくて。

     これでいいのだ。