人生の寂しさに何を語りかけようか

 ヨガが市民権を得て瞑想を日常に取り入れる人も多くなったのでしょう。瞑想領域にいるとき、僕たちは心を見ている心に気づくことがある。どちらの心も自分ではありながらも安心感に包まれる。

 どれだけ科学が解明されようとも、本当の心のありかを解き明かせる人はきっといない。心理学では心と脳は同じという考え方が定説らしいけれど、僕はどうにもそれがよくわからない。

 だって誰かを想い、心を巡らせたときには胸がいたくなる。お腹のあたりで物事を考えていることもある。自分のずっと後ろの方で自分自身を抱きしめるかのように物事を考えていることもある。

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 心は単数ではない。私は私だなんて僕たちは思いがちだけれど、それだけでは説明のつかない動きが心にはある。

 出会いの数だけ心は豊かになる。

 僕たちはともしびを灯し合っている。あなたの住む街、世界には必ずあなたのことを想っている人がいる。想い、祈りは空を飛び交っている。つながっている。だからあなたは今を生きている。

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 すごく寂しくて耐えられそうにないような夜もある。それでも僕たちは決して1人なんかではない。あなたは愛されている。心の中では全てが生きている。

 僕たちはみんな世界から愛されている。そうして愛されている光が心となって、何かを伝えようと誰かを助けようと、今日もまた1日を頑張っているる。

 誰だってみんな寂しい。

「俺は寂しくなんてないよ」なんて言う人も世は諸行無常。ひと時だけならば気の迷いもあれば人生なんて玉手箱で様々な場面が用意されているからもちろん寂しくない時期というのも誰にだってある。

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 この世界には愛がある。全ては愛でできている。花が育つ。青空が輝く。雨が降る。大切な人のことが気にかかる。何かあるなら全力で向き合い、あらゆることに対してまっすぐでありたいと願う気持ちを誰だって持っている。

 それを愛と言わずに何を愛と呼ぶのだろう。

 心と愛をつなげてみようとしたときに僕たちは何を見るだろう。もしかしたらこの世界の真理に気づけることもあるのかもしれない。

 あなたがもし今寂しくても、それもいつまでも続いたりはしない。心にはみんながいる。

 ライフイズビューティフル。

 真実なんてどうでもいい。美化してしまえばいい。自分の中で世界を美しく見ていればいい。そのとききっと心のありかに気づく。そうして僕たちは遥か昔に忘れていたような安心を取り戻すことができる。

 人生は寂しい。

 それでも価値がある。

  今朝、目覚めてからずっとこのことが心にあったので、心が伝えようとする言葉を書いてみました。

人が祈るときには、何かがこうなりますようにという形だけではなくて、許してくださいという気持ち、寂しさを癒してくださいという気持ち、あの人に心が届きますようにという願いがある。

 それは必ず届くのだと思う。何かを通してきっと。

人生は寂しいものだよね。寂しい時もある。でも素晴らしいものだよね。人生、がんばりましょう。

 きっといいことがある。