人間は忘却の生き物だという。いつまでも昨日や過去を背負っていたのでは到底ではないけれど、今、このときにさえもふらついてしまう。
その上に明日のことまでも鬱々と考えていたのでは、望みの人生構築の妨げになってしまう。
だからきっと神様は地球を回るようにして朝日を巡らせ、忘れるシステムを僕たちに与えた。

ふと思い出すだけでも、よく今を生きているものだと、自分自身のことなのに感心してしまうような過去がある。きっと誰もが大なり小なり同じような苦しみを抱え、友情を悟りの橋に、恋を悟りの橋に、家族を悟りの橋にして、学び気づきながら今を生きている。今ここまでを渡ってきた。
そして必ず
誰もが何かに守られている。

誰もが救い合いたいと願っている。助け合いたいと願っている。自分のせいで誰かが苦しむようなことを僕たちは耐えることはできない。それなのに知らず識らず大切な人を傷つけてしまったり、傷つけられたりしながら、時は無常を基礎に流れていく。
麻痺していく時代の中で、思考停止しないように、風を感じていたい。森を歩むときに肌を撫でる風を感じるように、あらゆる場面で巻き起こる風を。

毎日毎日必ず、人生は小さな喜びを用意してくれているのだと僕は思っている。個人的な観測として、確かにそうなのだろうと思う。
人生に吹いている風にあらがわず流れのままに、向かいたい方角を目指して休んだり歩んだり駆け出したり。
気が付いたときにはきっと丘の上にいる。風を感じている。そこから何処へ向かうのか。それはまたその時の旅の目的地。
忘れながらも忘れることなく歩みたい。毎日増えていくありがとうを背負って抱えて一緒に歩いて、何処までいくのだろうこの旅路。
ささやかでも幸せに。僕たちに幸あれ。あなたに幸あれ。
夢の中で見る夢のような、夢のように儚くも感じてしまう世界の中で、麻酔から覚めていくように、健康に健気に明日を今を見るように、明るい気持ちでいたい。
あなたも明るく幸せに。
世界はいつのときも素晴らしく、美しさに満ちている。木々や桜が教えてくれるように、世界は希望に満ちている。
信じるものは救われる、という言葉を僕は心から信じている。