ミニマルな人々の暮らしを映すYouTube Vlogの増加。
ミニマリストな暮らしへ移行する一部の若者たち。
僕自身、どうしようかというような苦しみの中にいたときに、タイの僧侶であるアーチャン・チャー著『手放す生き方』という本に出会いました。(ミニマリストな本ではありません)
方丈記のように、服、雑貨、書類、家具、様々なものを一気に手放しました。
家賃3万4千円のアパートへと引っ越しをしました。
ベッドも手放しました。アウトドア用の寝袋で寝ています。
コンパクトに収納できるから余計な情報が視界に入ってこない。
春夏の服は紺の麻ジャケット1枚、白い麻シャツ3枚、黒のTシャツ3枚。グレーのパーカー1枚。メルカリで購入のナノユニバースボトム1本、G-Star Rawのジーンズ1本。(追伸 パープルカラーのTシャツ買っちゃいました…)
完全防水の靴一足。ブラックに背面ゴールドのスニーカー1足。
このローテーションで全てはこと足りています。
買い物に関しては底値研究家。徹底しています。(運気としてはどうなんだ)

床のスペース確保は最優先事項。
毎朝、瞑想などのあと、床を雑巾で磨いています。
押入れは基本、必要な書類のみ。
スッキリ。
押入れなのに、押し込まなくても入る。
ドラえもんが来ても大丈夫。
見える化することで、見えてくることはあるようです。
精神衛生上の効果は計り知れない。
視界に入ってくる余計な情報がないと、苛立ちの必要がまったくなくなります。
空気の色が快適になるから。

なぜ不安になるのかといえば、把握できない項目が増えていくことにある。
居住空間を把握できていると、暮らしにおいては不確かなことが存在しなくなる。ホッチキスもすぐにありかがわかる。
最低限に必要なもの以外は何もないのだから。

本当にしたかったこと、欲しいものが見えてくる。
本当は必要のないこともよく見えてくる。
スペースの圧迫と汚れからイライラは生まれる。
満員電車。溜まった洗い物。ゴミの山。追いかけられるようなタスク。
生きものは常に外部からの影響を受ける。
ネガテイブな情報もモノの一つであり、降り積もり、脳内とこころに置き場所がこれ以上ないとなったときに、あーっ!とイライラは沸点に達します。

人生の定め以上のものを求め、人と比べ、人を責め、または責め合い、スペースは削られていく。奪い合ってしまう。
思い込みが、自分のスペースを狭めてしまう。
自由を求め、身動きの取れない人生が生まれる。
僕たちは確かに外部の影響を受ける生きものではある。
それでも、手放しながら生きるなら、実際的には外部のターフーン(脅威の象徴としての)の影響はない。
モノが多いから、タイフーンや天災によってぐちゃぐちゃになってしまい、あれやこれやと回復に時間がかかる。
何もない場所にいるなら、あらゆることが起ころうとも大丈夫。
何も変わらない。
はじめから何もないのだから。
壁が崩れ落ちたなら寝袋で外で寝ればいい。
雨がしのげればなんとかなる。

白湯をゆっくりと飲む。
モノのない部屋で好きな音楽を鳴らす。
あらゆることを溜め込まないと決めたときから、人生の中にあった「ねばならない」が姿を消し始めました。
欲しいものが多すぎるから「ねばならない」に縛られてしまう。
人の動向が気になってしまうから「ねばならない」に追いかけられてしまう。

アウトドアを楽しみ、みんなでバーベキューをしているとき、キャンプファイヤーに人生を思うとき、何を悩めるだろう。
守るべきものの多さから苦しみが生まれてしまう。
守るべきものは自分と大切な人の幸せ。
ほかに何があるだろう。

世界は、時代は、これでもかというほどに僕たちを試してきている。
このサバイバル・ビューティフルワールドをどう生きるのか。
そのときは、そのとき。
あらゆることには解決法がある。
命にはとりかえしがつかないことがあったとしても、それでもたましいは永遠に忘れられることはない。ここにある。空の中にある。
世界は広い。
こころにスペースを持っていたい。
あらゆることがありえるのなら、奇跡だってありえるでしょう。
風の時代。
フィジカルなこの身体は、
風のように生きて、やがて潔く散ろう。