夕日が窓に反射して、流れ込んでくる。
西の明るさに、かすんだ霧みたい。
粒子のように広がるひかり。
あんなに寒さにあきれていた日々が遠ざかり、
この町にもすこしだけ春がやってきました。

昼食後、自転車に乗りながら考えていました。
この人生で何度も何度も繰り返してきた問い。
僕たちはどこから来て、どこへ行くのか。
たましいとは何なのか。
ありきたりな言葉で申し訳ないながらも、きっと人生最大の問い。

とりあえず自転車に乗って、ドンキホーテへ向かう。
そのときは、住んでいるアパートからドンキホーテへ行って、
またアパートへ帰ってくるのだとわかります。
あたりまえだけれど、
たましいはどうなのか。
地球へ来て、この生命を終えたとき、どこへ還る。
大地、空、集合意識なのか、それとも…。

ドンキホーテで焼きたての焼き芋とプロティンバー&諸々を買って、自宅へ帰ってくることと人生とを照らし合わせるのはかなり不釣合いかもしれないけれど、今日の行き先にドンキホーテを選んだのは僕です。
今日という貴重な人生の行き先に、ドンキホーテを選びました。
大きな焼き芋を選ぼうとガサゴソしていたら、目の前で焼き芋の袋を並べている店員さんが「これがいちばん大きいよ」なんて言って、手渡してくれる。
「ありがとうございます」と受け取って、
そうか、あ、きっといま、運がいいんだ、
全てはタイミング、なんて小さなことに喜んでいる。
それも人生。

なんなら、ロックダウンを無視して「俺はインドへ行くんだ!」なんて言って借金をしてでもチケットを購入するということもできなくはない。
いつかきっと行きます。
いますぐ東京行きの新幹線に乗ってクリエイター仲間に順番に挨拶に行ってお茶をしてくるというのもアリ。
ずっと部屋の中でネットサーフィンという選択もあります。
スケジュール変更で、仕事を放り投げて、
一日中、昼寝するという選択もあり。途中から夜寝になってしまう。
嫌だけど。
この人生で、どんな行き先を選びたかったのだろう。
どんな還る場所を求めているのだろう。
目的地に着いたなら、ああ疲れたーなんて言って、ドロドロになって眠りについて夢の中、なんてこともあるでしょう。浦島太郎さん。
せっかくの人生。
最後の日がいつなのかなんてわからない。
きっとその日には、「いいですか?」なんて、
迎えにきてくれた天使に手をひかれるのでしょうか。
白い服を着た列に並んで、
光の中へと溶けていくのでしょうか。

一度きりの人生という言葉。
本当は好きではないんです。
それでもこの人生、やっぱり、やりきりたい。
生まれてくる前に僕たちはきっと「こうして生きるんだ」って決めてきたことがあるはず。
小さな手をギュッと握りしめて、
泣きながら光ある世界に出た。
だからこそ出会えた宝物もある。
時代がどんなに泥のような色にかき混ぜてこようとも、
青空の色で塗り替えてしまえ。美しく色を塗ろう。
なんて。
虹の色で絵を描きたいじゃない。
何歳になろうとも。

外側で起こることは、なるがままに。
内側から自分自身に問いかける。
「何がしたい?この人生で」
「何がしたかった?この人生」
まだワクワクできるなら正解。
オーライ、間に合うさ。
何処へだって行ける。
何にだってなれる。
内側から、あーーー!って湧きあがるパワーに震え上がった記憶。
いまも静かに熱く。
高い高い場所まで精神を昇らせて、
そこから何が見えるだろう。
なにがしたいだろう。目覚めてから眠るまでが人生。
何度も何度も人生。
人生の積み重ねが人生。
1年、365回の人生を何十年分。
一日一日が全部、一個一個の人生。
慎ましさと貪欲な意欲とで、たましいに応えたい。
最高にフルに燃え尽きよう。
命あるかぎり。